片恋
おはぎ様




 『いくぞ』
 いままで楽しそうに笑っていた眼がすっと細くなり、涼やかな目元が一層凛とした美し さを際だたせた。曇りのない透明な瞳がまっすぐ自分だけを見つめ、自分だけを映してい る。一瞬、時間が止まる。
 『こい!』


 何度も何度も見続けた過去をまた夢に見て、彼はなんとなく目を開いた。三本のみかん が目に入る。日の加減から見てまだ夕飯は先だろう。耳を澄ませば、唯一の女性である航 海士の怒鳴り声と、その合間合間に船長の声が聞こえる。何を言っているのかわからない が、まあだいたい想像はつく。
 いつも通りの平和な風景にため息をついて、彼はもう一度昼寝の体勢に入った。闇に閉 ざされた視界の中で、先ほどの続きがまた彼を待っていた。そこではいつものように彼は 子供で、ちょうど見上げる位置に自分より少し年上の少女の泣き顔がある。
 『女の子が世界一強くなんてなれないんだって』
 少女は見せたことのない涙を拭おうともせず、気丈に少年にほほえみかけた。
 『ゾロはいいね、男の子だから』
 (……ちがう)
 そう言う少女に彼は勝ったことがなかった。2001回挑んですべて負けた。
 いまなら……わかる。そんなに挑んだ理由も負け続けた理由も。でもそのときはわから なくてただ苛立って彼女に無茶な約束をさせた。
 『約束しろよ。いつか必ず、俺かおまえが世界一の大剣豪になるんだ!』
 夢を見ているのか考え事をしているのかわからないまま、ゾロは過去の自分に苦笑した。 あのときの自分は気づいていなかったが、たとえ世界一の剣豪になったとしても少女には かなわなかったと思う。3000回挑んでも5000回挑んでも結果は同じだ。
 自分が少女にかなわなかったのは、ただ力や技術が足りなかったからではない。そうい ったものをすべて身につけていたとしても、かなわないものだって世の中にはあるのだ。 今の彼はそれを知っているが、あのときの彼は知らなかった。少女だって知らなかった。 知っていたなら、泣くことなどなかっただろうに。
 あるいは、くいなが生きていたらいつか分かったのだろうか。彼がなぜくいなを斬れな かったか。なぜそれでも挑み続けたのか。
 『なぜ……』
 真剣に自分を見つめ返す意志の強い瞳が、微妙に変化して女の顔に変わる。名前は忘れ てしまったが、海軍の……女。何もかもがくいなと同じくせに、なにもかもが異なる女。 無性に彼を苛立たせる女。
 『なぜ斬らない? わたしが女だからですか?』
 (……おまえも違うんだよ)
 斬らなかったのは、斬る必要がなかったから。ただそれだけだ。もし必要があったなら 彼は間違いなく女を切り捨て、何の痛痒も感じなかったはずだ。女の髪の色も声も眼も唇 もすべてが少女を思い出させたが、同じものだと思ってしまうほど自分は愚かではないつ もりだ。
 くいなは成長しない。あの女は生きている。彼はくいなを斬ることはできない。あの女 なら殺せる。必要ならいつであっても。
 (つまりは、それだけのことだ)
 男だからとか女だからとか、そういった次元の問題が生死の世界にあるはずがない。斬 る必要もないものを斬らなかったからといって、変な理屈を持ってきて責めたてるのは馬 鹿馬鹿しい。
 (斬って欲しいんなら、腕を磨いてこい)
 つぶやいてやると、女の顔はふっと消えた。ようやく静かな闇が訪れ、彼は力を抜く。 みかんの葉がこすれ合う音が彼を撫でた。船縁に当たる波の音と昼下がりの陽光がゆっく りと彼を眠りに誘う。さほど遠くない距離で仲間の怒鳴り声が……

 「なに平和に眠りこけてんのよ!!」

 問答無用で脳天をぶん殴られ、ゾロはしたたか床に頭をぶつけた。顔を上げると案の定、 昆を握ったナミが仁王立ちで彼をにらみつけている。寝ていたわけではないのに気配など まるで感じなかった。
 この女はいつもそうだ。人が油断した一瞬がわかっているかのように、最悪のタイミン グで最悪の行動を起こす。
 「なにしやがる、てめえ!」
 「呼んでも呼んでも返事がないからわざわざ呼びにきてやったのよ! さっさと起きな さい!」
 「おれは寝てねえ!」
 「眼つぶっていびきかいてたのは誰よ!? 馬鹿言ってないで持ち場について!」
 「ああ?」
 「風が変わった。嵐になるわ」
 言い捨ててナミは船尾に向かった。言われてみると、先ほどとはうって変わって空は、 闇色の雲に半分ほど覆われ、生ぬるい風が木をざわめかせている。なるほど。嵐が来そう だ。ナミの傍らに立って視線をのばすと、彼らを追うように妖しい光を煌めかせている雷 雲がすぐ見て取れる。
 「来るのか?」
 海で出会う雷は船にとっては命取りである。なにしろ高いものなど何もない大海原だ。 雷が落ちる先など決まっている。
 「さあ。だから今、逃げてるんでしょ」
 ナミは厳しい顔で雷雲をにらみつけた。天候のことなど彼には全くと言っていいほどわ からないが、この天才的な能力を持つ女にはすべてがわかっているらしい。しばらくの間、 気圧計と指針とを見比べ、満足げにうなずくと、そのままゾロとすれ違い機関室へ向かう。
 「おい、ナミ」
 「なによ。また殴られたいの? さっさと持ち場について」
 言ってはいるものの、言葉ほどの切迫感は声にない。たぶん、うまく逃げ出せる算段が 立ったのだろう。ナミは振り返ってゾロを見つめ、呼びかけの続きを促す。余裕がある証 拠だ。
 「で、なに?」
 その眼には何の気負いもなく迷いもなく、ただ彼を映している。まったく似てもいない のに、瞳に込められた強さがくいなを思い出させた。すこしだけ動揺して、言いたかった 言葉を見失う。
 「いや……」
 この女はルフィ海賊団最強で、未来の海賊王や大剣豪を平気で殴りつけ、謝りもしない。 たぶん、「未来の」という言葉が消えても彼女の地位は揺るがないのだろう。強い女だ。 ナミの強さは、力や技術では説明できない。理屈ではないのだ。理屈を遙かに越えたとこ ろに彼女はいて、すべてを握っている。
 その小気味いい悔しさが、くいなを思い出させた。
 「おまえには敵わねえなと思っただけだ」
 「当たり前じゃない。わたしに勝とうなんて、何十年たっても早すぎるのよ」
 あっさりと答えを返され、ゾロはにやりとする。
 「そういうもんか」
 「そういうもんよ。女が男より弱くてどうするの」
 唇の端だけでにっと笑い、ナミは軽く昆を一回転させ去っていく。振り返ると雷雲は先 ほどより少し左側へ流れていた。船が位置を変えたのか風向きが変化したのかわからない が、このまま進むとたぶん嵐にぶつかることはないだろう。遠くでウソップが自分を呼ぶ 声が聞こえた。どうせ聞こえないだろうとなおざりな返事をしつつ、彼は歩き出す。
─────ゾロ。
 なんだか声を聞いた気がして彼は頭を上げた。いつか彼の名声を届けると誓った空が見 える。たぶん雷鳴だろうとは思ったが、灰色の雲の隙間から降りている光の束が彼に呼び かけたようで、柄にもなく感傷的な気分で目を閉じた。


   『いくぞ』
 自分が気合いを入れると、くいなのいままで楽しそうに笑っていた眼がすっと細くなり、 涼やかな目元が一層凛とした美しさを際だたせた。曇りのない透明な瞳がまっすぐ自分だ けを見つめ、自分だけを映している。
 至高の一瞬。
 彼だけが知っている、彼のためだけの珠玉の一瞬。
 『こい!』


   彼は目を開いて、白い刀を右手で軽く握った。この感情をなんと呼ぶか、今の彼は知っ ている。
 
─────もう伝えるすべはないけれど。

 最高の剣士になるはずの男は自嘲的な笑みを吐き、最強の航海士に再び怒鳴られる前に 持ち場へ歩き始めた。



          END





おはぎ様から戴いちゃいました。嬉しい!
イメージは福山雅治の『桜坂』だそうです。
日本刀の鋭さとか潔さとか、そういう空気感が凄く素敵です。
くいなって、やはり悲しいですね・・・・・・知っていたら、っていう仮定が切ないです。
御本人曰く、『本命ゾロナミ、対抗ゾロくいな、大穴ゾロタシギ』。
うーむ、改めてゾロを取り巻く女性キャラの複雑さを感じます。
おはぎ様、ありがとうございましたvvvvv。
 



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