和服の美人が林檎抱えて




 美しい町並みの理由は建物の高さにもある。細い路地を挟んで行儀よく揃ったアパートの屋上は、そう、こんな風に駆け抜けるにも都合がいい。
「待てぃルゥパァーン!!」
 屋上には大概の場合洗濯物が乾さっているが、稀に空き瓶などごみの類が転がっていることもあり。
「………!!!」
 名状しがたい絶叫が背後から聞こえてきて、ルパンは咄嗟にとっつぁん!?などと振り返っては見たが、止まって捕まるわけにも行かなくて。


「全治2ヶ月です」
 ギプスでぐるぐる巻きにされた己が足を、銭形は情けない思いで見つめた。ベッドの隣の窓からの眺めはあまりにも良くて、肩を叩いて慰めていく異国の同僚たちの温い笑みに、遠い故郷の「肩叩き」を思って暗澹たる気持ちになる。不可避の窓際族。彼は飛び移った屋上で、一本だけ転がっていたワインの空き瓶を踏み、転んで足に見事なひびを入れたのだった。
 杖を突けば歩けぬこともない。しかし溢れんばかりの職務熱心があだとなり、不良患者のレッテルに成り代わって、ベッドに縛り付けられてしまったのだった。おまけに最初は全治一ヶ月だったのが何故か倍に増えている。
 以来二週間近くが経った。足の筋肉が心もとない。唯一許されたダンベル体操で、上半身ばかり鍛えられてもどうしようもない。なにより消息の知れないルパン一味が気になって寝てる場合なんかじゃない。
 見舞いに来る現地警官はなにひとつ連中のことなど教えてくれないし、かと思えば予告状も来ないし、代理の任に当たったとか言う妙なフランス人警部は自信たっぷりに言ったものだ。
『フランス人の弱点はフランス人が一番よく分かっておる。伊達気取りの怪盗三世など即捕縛であーる』
 そりゃ一世は伊達でも洒落でも有名だったろうが、三世はそれに加えて日本人が混ざっている。『屋上走って転んで骨折る、日本人の考えることワカリマセーン』と警部殿は銭形のギプスを馬鹿にしたものだ。そんなお前なんぞにあのルパンが捕まるものか。ルパンを捕まえるのはこの銭形と決まっているのだ。


 とにもかくにもつまらない。
 隅から隅まで舐めるように新聞を読んで午前中はやり過ごし、ラジオなど聞いて午後をやり過ごす。見舞いに来る警官は4割の確率でアルコール入りで、大声で騒いで看護婦に怒鳴られるのがお決まりの毎日。
 誰かが見舞いに持ってきた青いリンゴをかじる。酷く酸っぱい。生でかじりたいリンゴじゃない。
 やはり見舞いにはメロンかリンゴだ。リンゴなら赤いのがいい。甘いのがいい。できたらやや蜜入りで、皮に淡いまだらの入ったフジがいい。青森か長野産の。ああ日本に帰りたい。ルパンを逮捕して凱旋したい。
 そんな気の利いた見舞いなど来るわけがない。
 むしろ渋いまでに美味しくないりんごをかじり、銭形は忌々しいギプスを眺めて溜息などついていて、だから気付くのが遅れたのだ。
 病室の扉が静々開いて、和服の美女が見舞いにやってきた。
 手に籐の籠を下げてやってきた。
 籠の中にはリンゴが入っている。
「あらまあ重症じゃないの」
 唐突な理想的見舞い客しかも美女は、他の誰あろう、峰不二子だった。


「なあんでお前がやってくる」
「そりゃあ古い知り合いが入院したら、お見舞いくらい来るわ」
「じゃなくてよく正面から来たもんだなおい」
「和服の効果って絶大よ。こんなにちやほやされるのって珍しいわ」
 ベッドサイドに椅子を引っ張ってきて、不二子はリンゴをむき始めた。ちゃんと小皿に楊枝もさして。
 蜜入りのフジだった。
 思わず迂闊にも泣けるほど感激してしまう銭形、まさに異国で入院患者独り身の寂しさ。
「早く治って下さいな、幸一さん」
 咀嚼中のリンゴを思わず噴きそうになって、それを堪えて喉に詰まらせ、下まつげに涙がこぼれる。
「いきなり何を言う!」
 動揺しすぎの銭形に不二子はしみじみと首を振った。
「ルパンがねえ、やる気が無くってもうどうしようもないのよ」
「あいつが?」
「追っかけてくんのは変な偉そうな警部だし、どんなに裏をかいてみせても『とっつぁんのギャフン面が見れねんじゃ俺つまんなーい』ってへたりきってるし」
「人をなんだと思っとるんだ。失礼なやつめ」
「ねーえ幸一さん」
「ええい幸一さん呼ぶな! 慣れん! そのなんだ、あれだ。どきどきする」
「早くよくなって、またルパンを追いかけて頂戴ね」
 自由になる腕を表現力のかぎり振り回してうろたえていた銭形が、ふと真顔で不二子を見返した。
「あいつが捕まっていいと思っとるのか?」
「だってルパンに本気で最後まで付き合ってくれる追っ手なんて、あなた以外に誰がいるっていうの?」
 媚を含んで微笑む、いつもどおりの峰不二子が居た。
「……まあ、早いとこ治さんと今までの包囲網も情報もぱあになってしまうからな」
「既にあの代理警部さんが派手にぶち壊してるわ。早くしないと大変よ」
「むぅ、やはり偉ぶり勘違いな輩であったか!」
「ね、だから大事になさって、でもできるだけ早くお元気になってくださいな」
 残りのリンゴを籠のままベッドサイドに置いて、不二子が実はね、とささやいた。
「このリンゴはルパンから。今朝航空便で届いた青森産のフジよ。どうせこれしか認めないんだろうからって」
「そんな気を利かすくらいなら屋上なぞへ逃げるなと伝えといてくれ」
 楊枝を摘んで歯切れいい音を立てながら銭形はリンゴをかじる。甘くてうまい、と申し訳程度に呟く。本当は妙なことに、酷く嬉しくて仕方が無いのだった。
「はやくルパンをギャフンと言わせてみせて。それができるのは今のところあなたしか居ないんだから」
「本当にどちら側だか分からんな、お前は」
「余裕綽々な男なんて可愛げがないじゃないの」
 お大事に、と来たときと同じくらいに芝居がかった完璧さで、峰不二子は帰っていった。
 

 皿の上のリンゴをもう一つ摘む。
 早くよくならねばと思う。
 窓の外を何の気なしに眺め、病院から出た着物姿の横に黄色いベンツが止まった。あんな色の車を堂々と乗り回す人間がそう沢山居るわけが無い。
「ルパーン!」
 窓から身を乗り出してがなる銭形に、ひょろりとした腕だけが運転席から伸びて手を振った。
「幸一サーン」
「おのれ愚弄するか!」
 温い笑みを浮かべた例の警部の部下が興味津々とやってきた。
「あのキモノの美女は誰デスカー。幸一サーンなんて呼ばれちゃって。イイナア美人の奥サン」
「なっ、あれは、あれはだな違うぞ」
「恋人?」
 そうだここの連中はこの手の話ばかり乗りたがる。
「まああれだ、勘当済みの義理の息子の出戻り嫁とか、そんなようなもんだ」
「ムツカシクテヨクワカラナーイ」
 幸一サーン、と。暫くの間、意味も意図もなしに面白がる連中の冷やかしに耐えながら、骨よ繋がれ早く繋がれ、と銭形は念じて、驚異的な回復力を見せて医者をたまげさせた。
 銭形復活とほぼ時を前後して、久方ぶりの予告状が新聞紙面を賑わせた。






20040603


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送