クリスマス・クリスマス




 最近ではクリスマスムードがどんどん早く来る。十二月になるとあちこちでイルミネーションが灯され、何の謂れも無関係にはしゃぎ、待ちわびる冬のお祭り。あの人に恋するまでは、無邪気に楽しめた。
 今じゃ曇り空に負けぬほど、憂鬱な日。



 クリスマスイヴを控えたレストランバラティエの扉が、賑やか過ぎるベルの音と共に開かれたのは客足もひとまず収まった中休み、午後4時のことだった。
 気取らない、けれど極上の隠された名店として、最近雑誌などの取材が来つつあるこの店でも、イベントシーズンには予約の電話がひっきりなしに鳴る。何日も前から念入りに仕込みに明け暮れ、今夜の前哨戦にさて挑もうか、という、そういう頃合。
「ビビちゃん!?」
 目ざとく厨房からすっ飛んできたサンジに、ビビは何時も通り柔らかな笑顔で答えた。
「プレゼント、渡そうと思って」
 手にもった紙袋から、丁寧にラッピングされた包みを取り出す。リボンは濃紺のサテン。細いのを幾重にか巻いて、無造作にむすんだだけの軽い包みを、ぎゅうとサンジの胸元に押し付けてきた。
「仕事中で悪いかなと思ったんだけど、忙しくなるでしょ? 今しかないと思って」
 何時もと同じだと思った笑顔が、ほんの少し寂しげだと思ったのはほんの一瞬。
「今時こんなのなんだけど、よかったら、受けとってください」
 まるで初めて声をかけ手渡す、恋文めいた言い方が、たまらなくいとおしく思えて、
「すごく嬉しくて、他にいいようもない・・・・・・」
 抱き寄せようとした瞬間に、警報めいた受付の電話が鳴り響いた。
「サンジ!!!さっさと電話でやがれ五月蝿ぇんだからよ!!!」
 心底忌々しいと舌打ちした隙に、ビビはふわりとその腕から抜け出た。ごくごく軽い靴音で踵を返し、扉を半分開いたところで振り返って、
「頑張ってね」
 ちょっと待ってと引き止めかけた手も届かず、サンジはカランコロンと空々しい音を立てるドアベルに、呆けたように立っていた。


***


 ナミが帰宅したとき、部屋の窓は真っ暗だった。
 一昨日辺りまで、ナミが帰った途端大慌てで何かをクッションの下に突っ込み、食事時には上の空、昨日の晩は始終そわそわしっぱなしで、今朝は洗面所の鏡を占領。
 判りやすすぎるくらい、ビビは恋に舞い上がっている。
 だから部屋に入ってぼんやりとTVを眺めているのをみたときは仰天した。
「あ、おかえりなさい」
 口を開けば一応何時ものとおりで、ナミはコートを脱ぎながら部屋の灯りをつけた。
 見ていたのはニュースらしい。単調な口調が伝染したみたいなビビの声。
「・・・・・・あんた、どうしたの」
「・・・・・・なんか悲しくなっちゃったの」
 ビビは泣いていた。

「分かってはいたのよ。クリスマスは忙しいから、だから初詣は行こうねって言ったのよ。キリスト教徒じゃないし。そういう理由を自分でつけたけど、やっぱり悲しくなっちゃったの」
 今年三本目のヌーヴォを開けて、週末なのをいいことに深夜の宴会。嫌にローテンションで。
「ナミさん知ってる? うちの学校の女子にすら、目付けてる人いるのよ? 『   通りの隠れ家レストランには、見掛け軟派だけど腕も立つしイイカンジのコックがいる』って。そういうのがクリスマスには一杯群がるのよ。そしてサンジさんは綺麗を頑張る女の子大好きよね。頑張るどころか、隙あらばって武装してくるようなのが一杯集まるのよ? 判ってはいるんだけど」
 ビビは完全に酔っている。酔ったせいでたがが外れたか、不安と懐疑心をまさにぶちまけている。私はそういう心配したことないからなー、とナミは誰だかを思いやる。並みの女ではあいつに付き合ってられないし、並みのアピールじゃあいつには届かない。
 今頃はイベント会場で人員整理の旗でも振っているのだろう。考えていて別の意味で少し悲しくなる。
 イヴの夜の仕事中、ほんの少しの休憩時間を取るような、気の利かせ方をしていれば、それこそ御の字だわ。
 ・・・・・・そうだ、それも悪くない。
 ふと思いついた考えに声を上げそうになって、ナミは注意深く表情をつくる。
 アイディアとしては悪くない。それに確かバラティエは9時半ラストオーダーのはず。
 ・・・・・・いける。
「折りしもイヴは日曜日、だもんねぇ。私もろくな週末じゃないわ」
「ナミさんは?」
「ゾロがクリスマスなんてイベントを気にすると思う? イベントでバイトよ。そうだ、どうせなら遊びに行く? お台場で冬花火」
「どうせカップルだらけでしょ」
 今度は拗ねている。
「ごちゃごちゃでわかりゃしないわ。なんか色んなイベントが重なって連日凄い人出なんだってさ」
「花火・・・・・・夏やるものじゃないの?」
「誰が決めたわけじゃなし。どうせならハデに盛り上がりたいじゃない。どかーんと」
「どかーんと・・・・・・ハデに、ね・・・・・・」
 うん
 そうね
 それもいいかもね

 ナミさん、ありがとう。


   そうしてつぶれたビビをベッドまで引きずっていってから、私は脅迫電話を一本かけた。


 ***


 夕方の〈ゆりかもめ〉は大混雑。もっとも一日中大混雑らしい。
 もみくちゃにされたついでにしんみりした空気は何処かへ飛んでしまって、二人してアウトレットモールへ突進。試着室をはしごして夕御飯食べて、時間が余ったからネイルサロンなど行って。その頃になると人の流れが一斉に移動しはじめた。
 華やかなイルミネーションに流されて、12月の寒い夜の海沿いを以上にはしゃぎながら歩く。
 色を間違えたのか、トナカイのうちの一頭の鼻が青かった。隅っこの方で跳ねているのがやたらにかわいくて、「自分たち的にはトナカイは青鼻が絶対OK!」とか、妙な定番意識が芽生える。
 そんな風にするうちに、ビビが突然立ち止まった。
「もしかしてナミさん、誰か探してる?」
 ビビは勘がいい。もっとも私は電話を待っていたのだ。時計を見たら11時過ぎ。
 多分もうすぐ電話は来るだろう。来なければ困る。
「・・・まあ、ね。ゾロがバイトしてるって言うから、ひやかしてこようかと思ってさ」
 心の中で大声で謝る。ビビごめん。だけど全てはあんたのため!(多分!?)
「・・・・・・ナミさん、行ってきて大丈夫よ。私ちょっとあれに乗ってみたくって」
 見上げた先には観覧車。
「ショッピングモールに観覧車って画期的じゃない? 夜景も花火も、全部独り占めよ」
 そうして、先に帰ってるから、大丈夫。
 返事を返す間もなく、ビビは足早に人ごみを離れた。
 これ以上何もいえない気分で、その背を見送りながら、ナミは携帯を取り出す。
 甘いことなんて何一つ言ってやるものか。もう悠長に待っている場合じゃない。
 幾らべたぼれで幾ら忙しくて幾らビビが割り切ろうと努力したところで、あんな顔をさせるような男はただじゃおかない。
『最後のチャンスだと思うことね! でなきゃ電話も取り次いであげないし他のいい男紹介しちゃうわよ!』
 正直そんな当てはなかったし、ビビ本人がべたぼれなのだから仕方がないのだけれど。
 そのくらいしたっていいじゃない?
 クリスマスイヴ深夜、誰にも滅多にかけない携帯を使いたい相手は彼ではないのだけれど。
 そうして番号を呼び出そうとした瞬間、極小に絞った着信音。
 やっと来た!
『何処にいる!!?』
「遅い!!!」
 突然の怒鳴り声に、人の流れが一瞬乱れた。


 ***


 当然の事ながら観覧車は行列。並んでいるのがそれこそカップルだらけで、早くもビビは後悔し始めていた。
 出かけてこなければ良かったかしら。でも家にいたらきっと沈み込む。お店に突然行ってみても良かったかもね。きっとびっくりするだろう。そうして困らせることになる。他への接客スマイルだって、もしかしたら耐えられないかもしれない。最近酷くわがままになっていると思う。
 順番が巡ってきて乗ろうとして、サンタクロース姿の係員がいぶかしむような顔をした。
 気をつけて、大丈夫ですか? 景色すごいいいですよ。
 妙に親切に世話を焼かれる。相手の真面目に心配してそうな顔を見て、元気そうな顔を無理にでも作って笑って見せた。
 ゆっくりとまわる観覧車。一回りするのには随分時間がかかる。
 真っ暗な中に、無数の灯り。暗い海の方に背を向けて、遠くに目を凝らした。
 今頃は後片付けでもしてるのかしら。ぶつくさ文句を言いながら。
 サンジは口が悪い。普段は隠しているが相当悪い。そんなことは噂にはならない。私は秘密にしているし、女性相手に、めったな事ではサンジの猫かぶりがはがれることはない。
 高層ビルの灯り、無数にきらきらと散らばる光。とても綺麗で、だから自分は少し悲しい。
 光が全部滲んで見えた。宇宙からでもこの光は見えるのだそうだ。眩しすぎるくらいに。
 明後日の午後にはまたお店に行こう。他に客のいない暇な時間をのんびり喋って、休憩時間になるのを待とう。あなたに逢いに行こう。
 涙をハンカチで拭って、今夜は良く寝ようと思う。多分自分は酷い顔をしている。知らない人に心配されるくらいだから、相当酷い顔なんだろう。
 光の散らばる夜の中、多分あの辺り、と見当をつけた方向に、おつかれさまと呟いて、あとは眼を閉じていた。
 眼を閉じても、眩しすぎる光が瞼にちらついた。


 一番下に近付いて建物の陰に入った辺りで、なんだか下が騒がしいのに気付いた。
 割り込みだとか料金は払ったとか、係員と喧嘩腰で怒鳴りあっている。
 聞き覚えのある声だと気付いたのは、ゴンドラの扉がやっと開く頃だった。
「ビビちゃん!!」
 係員を無理やり押しのけて、大股五歩で駆け寄ってきたと思った。次の瞬間には抱きしめられて、抱え上げられて、そのまま降りたばかりのゴンドラに押し込まれた。
 見覚えのある明るい青。
「今日限りだ!! 文句あるやつは殴られてやるからそこで待ってろ!!」
 どうなることやらと見守っていた行列の全員が、思いもしない劇的な展開に歓声を上げた。拍手と野次と口笛と。ビビはぎゅうぎゅうに抱きしめられたまま、それを全部遠くに聞いた。
 次のゴンドラが下りてきて、慌てて係員が次の客を誘導する。ふとこちらを見上げて、悔しいような安心したような複雑な顔をして、手を振った。


「・・・・・・サンジさん?」

 きつすぎる腕がようやく放れた。乱れた髪で、息を切らしたまま、酷く真剣な顔をしてサンジはまず言った。
「メリークリスマス、ごめんね、ビビちゃん」


「・・・・・・マフラー、使ってくれたの?」
 呆けたような言葉に、サンジは一瞬押し黙って。
「・・・・・・ありがとう。大好きです」
 大真面目な顔で、そっとキスをした。
「観覧車一周分泣かせてたんじゃ、急いだなんて言えませんね」
 一瞬で下の灯りが全部消えて、元々暗かった海側で大きな音が響いた。
 ごめんね、ビビちゃん。
 サンジは繰り返す。
 ビビは遠くくらい夜空を眺めた。
 枝垂れた光が弾けて、次々と大きく咲く。
「・・・・・・冬花火っていうのも、綺麗でいいですね」
「ビビちゃんに逢えたから、実は他はどうでもいいんです」
 でも悪くないタイミングだ。そう言ってサンジは、今度はそっと抱きしめた。
「私も同じです」
 天辺近くのゴンドラ。どうでもいいと言われた花火は、観覧車がまわる間中、景気良く弾けつづけた。


 諸人こぞりて祝い称えよ
 今宵 我ら光灯さん
 己が胸に 愛しき人に 
 







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