涙のレシピ
親の敵か恋の敵か、ボゥルに玉子を力の限りに泡立てて。砂糖は控えめ、愛はたっぷり。
時折物憂げに溜息でも込めりゃあ、もう完璧。
笑顔の陰で飲み込んだ、涙よりも苦くて甘いチョコレェトケーキ。
『レストランに必要なのは料理と笑顔だけじゃあない。アソビゴコロを無くしたら、どんなに高級でも単なる高値食堂だ』
二月のある日、厨房中に甘〜い匂いを充満させたパティが、至極真顔で言った台詞だ。俺は奴の意見にゃ大賛成だったが、いかんせん脳まで突き抜けそうなバニラビーンズとリキュールとチョコレェトの匂いに、いつもなら欠かせぬ煙草にさえ吐き気を催す始末。
『加減ってモノを考えろよ。これじゃ他の料理に匂いが移っちまう』
『いいや今日だけはこっちのが優先だ』
『いくらなんでもやりすぎだろ・・・』
『サ〜〜〜ビス、モットー!! お客様への愛に限りはない!!』
『それでチョコレェトかよ・・・・・・うっぷ』
初めはどこぞの小さな菓子屋の企みだった。今では東の海中の、菓子屋がレストランが恋する乙女が、てぐすね引いて待ち構える決戦の日。
そう。これこそがかの有名なセント・バレンタインデー・・・・・・・・・・・・・・クソ!!!!!
今日使うのはオレンジのリキュール。チョコレェトはビター。鍋で溶けてく熱い熱い恋心。冷蔵庫に入れておけば、ひやりと冷たく固まってしまう。チョコレェト、チョコレェト、チョコレェト、僅かにに隠した恋心。
仕上げに砂糖漬けのばらの花びら。チョコレェトの黒に、艶めいた深紅。震えるピンセットの先で摘んで、そうっとそうっと飾る。息が詰まりそうな瞬間。
「ナミさ〜ん♪ 今日のデザートは・・・」
「チョコレェトケーキ、ね? 部屋入ったときから甘〜い匂いがしてるんだもん、すぐ分かっちゃったわよ」
「ほぼ正解。チョコレェトムースです。・・・・・・で、一人分だけって訳にもいかねえからな」
サンジは定番の台詞を言いつつ全員の前にそれを配る。ナミの分だけ飾り付けが違うのはいつものこと。
「いちいち言わなくても分かってるって」
にしし、と笑うルフィの前に置くときは殊更サンジは仏頂面だ。
「ラヴコックなりのこだわりなんだろ」
したり顔で言うゾロの前に置くときは殺意さえこもっている。
「でもこいつの作る料理は、ほんとに旨いよな」
最近よく息の合うウソップには、態度が少々軟化する。
「それに御洒落だし」
もはや言うまでもあるまい。ハートマークが飛び交い世界はバラ色だ。
「しかし、かなり甘そうだな」
少し眉をしかめてゾロが言う。酒飲みで辛党。果物なら平気らしいが、そういえばこの手の菓子は全部ルフィに譲っている。コックとしては余り面白くない。
愛しいナミさんへの恋心を込めた特性チョコレェトムース。てめえなんかそれ食って胸焼けしてしまうがいい。ラヴコックの愛は不滅で無敵なのだ。思い知るがいい。
「ルフィ、食うか?」
「食う」
しかし、サンジの恨みがましい視線には、まるでゾロは気付いていない。あっさりとルフィにデザート皿を渡してしまった。
「あんたほんとに甘いもの嫌いねぇ」
スプーン片手にナミが言う。
「今日のは結構苦めで、あんたでも食べれそうなのに」
美味しいのに勿体なーい、とナミが言う。サンジの耳には「美味しいのに」しか聞こえていない。これこそがコックの幸せ。これこそがコックの喜び。今、サンジの視界は極端に狭くなっている。
「苦め?」
疑い深く聞き返すゾロと、ゾロの顔とデザート皿を見比べるルフィ。ナミがさらに言う。
「うん苦め。お酒とかとあうんじゃないかな」
実は既に空になってたりするゾロの分のデザート皿。
悪ぃことしたかなー、と言いつつ、全く悪びれていないルフィ。
なんだかちょっと食べてみたくなったりしている、大分手遅れのゾロ。
「一口、食べてみる?」
「・・・・・・貰う」
サンジのバラ色の視界に邪魔なものが入ってくる。サンジは眉を吊り上げる。邪魔なものはぱくりとスプーンをくわえた。細い銀のスプーン。持ってるのはナミさん。
・・・・・・ナミさんのスプーン?
『はい♪ あーん』『あーん♪・・・ぱく』『美味しい?』『美味しい♪』『嬉しー♪』
誰もそんなこと言っちゃいないが、サンジの耳には確かに聞こえたのだ。悪夢のような幻聴が。
くわえ煙草がぽろりと落ちる。
「てめえ自分のスプーンはどうしたぁぁっっ!!?」
そしてゾロは顔をしかめて言い放った。
「やっぱり極甘じゃねえか」
「そうかなぁ、私はいいと思うんだけど」
「ゾロ本当に甘いもん駄目なんだなー」
わきあいあいと何の疑問ももたずにルフィとナミが笑い、ゾロは手の甲で口をぬぐう。
あー甘いなどと呟きながら。
「・・・・・・・・・極甘なのはてめえらだよ・・・クソ!!!!」
微妙に裏返った声と、一瞬涙に潤んだ目。錯覚かとも思ったが、捨て台詞とともにダイニングから緊急避難するサンジに、ウソップは深く同情した。比較的長閑で一般的な日常を送っていた彼は、今日がどのような日なのかを良く知っていた。
(かわいそうな奴だぜ・・・・・・女も男も関係ねえよ。恋するバレンタインデーだもんな・・・・・・カヤどうしてっかなあ。そういえばあいつチョコマシュマロ好きなんだよなあ・・・・・・)
かわいそうなラヴコックの思惑はわずかながら報われた。
チョコレェトの(サンジの恋心の?)あまりの甘さに胸焼けしたゾロは、翌日まで一滴の酒すら飲もうとはしなかったのだ。
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