日本昔話より
馬方とたぬき




昔々あるところにゾロという刀使いがおりました。
ある日の帰り道のことです。道端に悪がきどもが集まってなにやら派手に虐めておりました。用心棒の仕事帰り、程よく疲れて、背の荷には酒、懐には金子。余計なこととは思いながらもゾロは悪がきどもに尋ねました。
おいてめえら何虐めてんだ。
たぬきだ。いやきつねだ。人を化かし誑かす、悪いけものを捕まえて仕置きしているのだと悪がきどもは得意顔。覗き込むと、地べたに泥まみれの橙の髪が見えました。
そんくらいにしとけ、化かしたからって命までとるこたねえだろう。
そいつは俺が買ってやるから、と懐の金子を惜しげもなく放ると、悪がきどもは我先に金を拾って、物好きのお人よしとゾロを嘲い、帰って行きました。
そりゃあ確かにそのとおりだと、苦笑い。相当痛めつけられたのか、転がったままのけものの縄を解いてやり泥を払ってやると、怯えきってはいますが、思いがけず綺麗な顔がゾロを酷くにらみつけます。
何もしやしねえから怯えんな。そう言って触れようとすると、けものは大したすばやさで飛びのきました。手に掴んでいた泥を投げつけまて、ゾロがおもわず腕で庇った隙に、あっというまに逃げていってしまいました。
あっけにとられたゾロですが、懐の金子はなくなってしまいましたが、それでも荷には大好きな酒、まァいいかと上機嫌のままで家路に付いたのです。


その晩。
酒を飲んで大いびきで眠っていたゾロの家の戸が、遠慮がちに叩かれました。しかし爆睡中のゾロはまるで気付きません。叩く音が段々強くなり、ついには蹴る音まで加わってもゾロは全然起きません。
ついにぼろ屋の戸がふっとびました。
立っていたのは橙のけものでした。呆れた様子で大いびきの男を見下ろすと、溜息一つついてから転がっていた酒瓶を部屋の隅に押しのけ、男の布団のすみにちいさく丸まりました。ほぅと一つ息を吐くと、やがてすうすうと寝息を立て始めました。途中で鼾はやんだのですが、けものはとてもとても深く眠ったままで、夜は大層静かに更けてゆきました。


翌朝のこと。
目覚めた足元に見慣れぬかたまりをみつけたゾロは、それを布団をのけるついでに転がしてみました。ころりと転がって見えた顔に覚えがあります。
ああ昨日のたぬきか。そう呟くと、転がった拍子に目覚めたらしいけものが吠えました。ちょっと誰がたぬきですって。お前しかいねえだろうが、折角逃がしてやったのにまだ人里うろうろしてんのか。あぶねえから山に帰れ、とゾロは戸を開けに立ち、ぶっとんで転がっていた戸をまじまじと見つめると、おもむろにそれを戸口に立て直してから、けものを見て肩をすくめました。戸口から入る光頼りに良く見れば、けものはけものの姿をしておらず、粗末な着物で布団の隅にちょんと正座をしておりました。
やっぱりたぬきじゃねえか。女か。よく化けたもんだが。この場合俺を化かしても意味がねえだろう。
それがあるの、とけものは首を横に振りました。受けた恩を返さないのはただのけものかそれ以下か。恩返しにどうぞここで使ってくださいな。なんでもできるわ一応は。
それならおまえ、茶ぁ淹れてくれ、とゾロは欠伸をして、けものは、おまえじゃなくってナミよ、と言い返しました。


それから。茶ぁ淹れてくれ。飯なんかつくれるか。腹巻がほころびちまった。包帯の替えがねえ。着物の替えもねえ。ちょっと酒に付き合え。ああ片付けなんか明日にしちまえ。
たった二、三日でゾロのぼろ家は、まあこざっぱりと生き生きと清められ整えられ、ナミは当たり前のようにゾロの布団の隅で眠って、朝になると寝汚いゾロを布団から放り出して、せっせと布団干しと洗濯にせいを出し。また夜が来ると晩酌の相手をするのでした。




さて。
甲斐性無しの雇われ剣士のところに嫁が来たらしい、と人の輪あるところには専らの噂です。
今日もくるくるとよく働くナミを、板の間に肘付いて寝転がったゾロは見るともなしに見つめては、正体は何だっけかやっぱりたぬきなのか、まあどうでもいいや、胸も腰もしっかりしてるし良く働くし、口うるさいのと生意気なのがあれだがそれもまたなかなかどうして、いい女じゃねえかと。ぐうたれておりました。
さて昼過ぎ、ほころびた腹巻を繕うナミの隣で、うつらうつらとしていたゾロが急に飛び起きました。
急に動くんじゃないわよ吃驚するでしょうが、とナミが口を尖らせましたが、否応無しにその身体を抱えあげると、ぎゃあぎゃあ喚くを気にもせずに押し入れに放り込んだのです。厄介なやつが来たから隠れとけ。そう言って障子を閉めるなり、直したばかりの戸板がまた吹っ飛びました。
おーい刀ばかがやけに小奇麗にしてるじゃねえか、と長煙管を吹かして入ってきたのは茶屋町の板前、名はサンジ。腕も愛想も良いが女癖は悪いと一長一短、俺が刀ばかならお前はただのばかだと罵り返せば、ほぉそんなこと言ってていいのかねえ、と嫌な笑みを見せました。酒代のつけを溜めに溜めて、仕事で返すとか言ってたが結局来ねえし。刀以外ならなんでも持ってって構わねえとか、言ったよなあ、男に二言はねえだろうし、嫁さんにゃ気の毒だが貰いにきたぜ、なあにちょっと酌でもしてもらえりゃいいし、てめえの甲斐性なしに比べりゃ楽しい日々をお約束しましょ。
いかにも悪そうな言い様ですが、そうしている間にも鼻をすんすん、ああいい女の匂いがすると嬉しそうに呟いた。変態めとゾロは唸る。そもそも女じゃねえよありゃたぬきだ。
たぬきぃと素っ頓狂な声を上げるサンジ、の横殴りに襖が吹っ飛んだ。
誰がたぬきよ刀ばか、大声で喚いて飛び出てきたナミ、あんたのつけはあんたが払いなさいよ家でぐうたらぐうたらと。そしたらゾロは決まり悪げに頬をかき、あれだな、こないだの金は思わず使っちまってな。
一体何に使ったっていうのよ。
その、あれだ、てめえを買った。
目を丸くしたナミは数日前を思い返し、地べたに這いつくばった自分の横に散らばった少なくない金に思いが至り。
やっぱり刀ばかだと俯いて呟きました。
ところでナミは襖越しにサンジを話の間中踏んづけていたのだけれど、ここでサンジ、襖ごとナミを吹っ飛ばし、落ちてきたところを両腕にふわりと抱き。
買ったってなどういうことだてめえ、お嬢さんこんな甲斐性無しに攫われたも同然なんてああ気の毒に、ええええこの不肖サンジ、貴女を虜のままにさせておくような不甲斐ない男じゃあございませんとも、刀ばかのつけなんざ放っておいて、貴女をこのあばら家から連れ去りたいんですいいでしょう、ねえ。おいゾロ、どういうつもりでてめえがこのひとを手に入れようとしたかは知らねえが、金なんかじゃ女の心は買えねえよ。そりゃ一時は買えるかしらねえが、つまるところは情だ。心だ。このひとがどうなさるかはまだわからねえが、訪ねて来るなら来りゃあいい。てめえの心が刀以外にどれだけ尽くせるのか、俺だって気にはなる。どんなつもりでこのひとを、買ったなんていいやがったのか、このひとがいなけりゃただじゃ済まさねえ、が。
ねえ取立てさん、とナミが問う。取立てさんじゃなくてサンジと呼んでやってください。
じゃあサンジ、このばかのつけっていくらくらいなの。
ええと、十云文、云十文、まあいいじゃないですか。
多いわね。
ええ多いんです。
ナミはしばし考え込み、ちなみにこの話の間中サンジに抱きかかえられていたのだけれど、思い切り良くうなずくと両の手をサンジの首に回しました。
途端にめろりんしはじめたサンジを無視して、ちょっと行ってくるわ、と手をふる。なおもゾロは呟いた。たぬきだぞそいつは。
脳天目掛けて長煙管が飛んできました。


あっさりとたぬきは行ってしまいました。
なにがなんだか、勝手にやってきて勝手に出て行った。追おうとも思わない。あれはたぬきだ。いい女だが。あれはたぬきだ。部屋が奇妙に空々しい。たぬきめ、俺を化かすたぁやるじゃねえか、とゾロは笑う。笑いながら酒瓶を傾ける。空だった。放り捨てる。
腹立たしい。
サンジはあれでたぬきを虐げるような真似はすまい。虐げはしないが襲うかもしれん。無理矢理はせずとも有耶無耶にするのは大の得意だ。女に化けちまったのが運の付き。さてあのたぬきはどうなるやら。
訪ねようか、訪ねたものか、何故如何して、何の為。
まだ日も高いというのに、ゾロは布団を引っかぶって不貞寝を決め込んでしまいました。しかし腹立ち紛れの寝返りに、眠気はなかなか訪れてはくれませんでした。


目が覚めると布団の隅にたぬきが蹲っています。橙の毛の丸々としたたぬきです。布団を引くところりと転がりました。転がった顔はたぬきの顔でした。
ナミ。
起き上がりかけたゾロに飛び上がって怯えたたぬきは戸の隙間からするり外へ。一目散に逃げて行きます。
たぬき。
転がっている酒瓶に手を伸ばします。酒瓶と共に枕元には手拭があります。中から金色銀色が見えています。ああこれは夢らしい。どんな働きでも小判などは到底手には入りません。たぬきの恩返しでしょうか。恩返しなら酒がいい。諸手をあげて歓迎だ。けれど金は。そうだ金を返さねえと。だがたぬきが。ばかなたぬきだ恩返しなんか望んじゃいねえ。ころころまるまると転がって、そのうち捕まって鍋にでもされちまうだろう。いや、そのまえに板前に食われちまったか。ばかなたぬきめ。
脳天に酒瓶が振り下ろされました。
だからどこの誰がたぬきよ!
ナミが、綺麗な着物の襟を乱して裸足のナミが、脳天を押さえて呻くゾロのまえにじゃらりと小判を投げ出しました。
買われたつもりなんて無いわ!
そんなにうつむくと葉っぱが落ちちまう。額に葉っぱ乗せてどろんとやるんだろうが、たぬきは。
にげてきたのか。おそわれたのか。小判はどうしたんだ。布団の隅にたぬきはちょんと座り、その前に膝でにじり寄ってその顔をあげさせれば、口をゆがめて泣いていました。たぬきの泣き声なんてものは初めて聞いた、とゾロは考えていました。
湯を使わせてもらって。隙を見て逃げたの。男なんか隙だらけ。小判は取立て屋なんかにやることない。あいつの金で付けをはらっておやんなさい。借りも貸しも大嫌い。あんたに借りなんかこれで返すもの。あたしは買われたりなんかしないもの。
なあおまえ、とゾロは言いました。食われちまったかと思ったぞ。皮剥がれて鍋にされちまう。その前によく逃げてきた。良かった。良かった。だからもう帰れ。化けるのも疲れんだろう。だからもう帰れ。
心配してくれんの?
ああ、心配した。
化かすのなんか簡単よ。だってあたしは女だもの。たぬきよりかもっと上手だもの。帰れなんていわないで。だって何処に帰るっていうの。人里の匂いがついたたぬきは山には戻れない。あたしは逃げてかえってきたのに。小判だってとってきたのに。借りなんか返したいんじゃないのに。
ああたしかに、どっからどうみてもおまえはいい女だ。みんな騙される。泥だらけのたぬきを助けたつもりが、こりゃどういうことだ? おまえがいなけりゃ酒が不味い。どんなたちの悪い化かし方だ。ばかなたぬきめ。ゾロはたぬきを思い余って抱きしめ、女はあんたなんか死ぬまで化かされちまえ、と抱き返しました。

襲われちゃいねえだろうな。
湯を使ってる隙に逃げてきたんだもの。
じゃあなんて着物が乱れてる。
犬に追いかけられて転んだの。
やっぱり犬は天敵なんだな。
暗闇で飛び掛られりゃびっくりするわよ。
怪我は・・・舐めときゃ治るか。
そうは言っても互いに抱き合ったままはがれもせずにせんべい布団の上。
金はな、明日返してやろう。
なんで折角取ったのかえしてやるのよ取立て屋なんかに。
ありゃ板前でな、のれん分けすんのに金ためてんだ。うまい飯作るやつだからゆるしてやれ。襲われてもねえんだし。
あんたがそういうんなら。
金ならまた仕事がくるだろ。
あとさきなしに小判ばら撒いて。
こんどはたぬきもきつねも拾わねえさ。
でも嬉しかったのよ。
ちゃんと帰りを待ってろよ。

さて、金は明日返すとして、たぬきか、おんなか。
どちらにしろせんべい布団の上で抱き合って。

次はどうしようか。





日本昔話の癒し系「馬方とたぬき」→ゾロナミフィルター的小噺。
2006年10月15日

めでたし、めでたし


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