【恋・愛】
〈Side:SANJI〉




 その強さ、輝きに恋をした。


 気の早い春の花が港町の窓辺を賑わす月、なんだか気分が良くて仕入れてきた食材も完璧な良き日。
 ついでにこの人生最大の謎である眉毛の渦がいつもより多く巻いている午後。
 キッチンで気分良く大量の牡蠣の殻を抉じ開けていると、例の如くこの船の船長がやってきて、「なんだこれ?」と気味悪そうに言った。
「生牡蠣。フライにしたやつ良く食うだろ」
「嘘だろ。俺こんな妙なもん食ったことねえぞ」
「言ったな? 今日はこいつのシチューだ。フライとはまた違って美味いもんだぜ」
 ふーん、と疑がわしげな面持ちで、ナイフを使う手元を覗き込んでいる。手伝おうって言うんじゃあない。見てるだけ。もっとも、こいつになんて手伝わせようものならキッチンが半壊する。よくもまあ俺が来るまでこの船の台所が無事だったものだ。
 鍋によく炒めた葱と、牡蠣を放り込む。軽く白ワインで蒸してから牡蠣だけ取り出し、代わりに蕪やら隠元やらを放り込み、スープで煮込む。火を限界まで細くして、一息付いて振り返るとギャラリーが二名ほど増えていた。
「牡蠣か。採りたてそのままってのが一番美味いんだよな」
 蒸しあがった牡蠣と殻の山を見て、切なそうな顔でクソ剣士が言う。
「料理人に喧嘩売ってんのかてめえは」
「ゾロ、あんな妙なもん食うのか!?」
「おう、美味いぜ」
「素材の美味さを生かしきるのもコックの腕ってもんだ」
 ダイニングに漂い始めたスープの匂いに、長い鼻をひくつかせながら長っ鼻が言う。
「野郎に誉められても嬉かぁないね。てめえらがここに来ててナミさんが来ねえって言うのはどういうことだ?」
「あいつなら風を計るとかで見張り台の上だ」
「ビビ姫は?」
「その数字の記録係」
 俺らの字じゃあ汚くて読めねえんだとさ。肩を竦めてゾロが言う。
「…もしも強風に煽られでもしたら!」
 吹きっ晒しの見張り台には掴まるところもなく、細身の身体は簡単に振り落とされてしまう。焦ってダイニングを飛び出しかけた俺の目の前に、びょん、と船長の腕が伸びた。
思わず踏みとどまる。良く見ればクソ剣士まで足を突き出して妨害してやがる。
「ナミがそんなヘマするもんか」
「心配して当然だろうが!」
「長くかかる仕事じゃねえっつってたからな。梯子には気をつけろとだけ言っといた。笑い飛ばされたけどな」
 突き出された足を踏みつける寸前で、ゾロは足を引っ込めてそう言った。とっさにセーブはしたものの、行き場を無くした力は頑丈な欅材の床を大いに軋ませた。
「避けるな!」
 ゾロに向かって足を振り上げたところで、タイミングよく扉が開く。明るく軽やかなマドモワゼルの声。振り上げた足を慌てて下ろす俺。
「何かまずいことでもあったの?」
「床がいきなり揺れたわよ。波は殆どないのに」
 ビビとナミがダイニングへと入ってきた。床を踏みつけて困惑気味のサンジに向かって軽く笑ってみせる。何があったかなんて、この聡明なレディーにはお見通しに違いない。
「サンジくん、床壊しちゃ駄目よ?」
 宥めるようなその視線に、心拍数が一瞬跳ね上がった。
「風は?」
「上々。いつ気まぐれ起こすか分からないけど、しばらくは舵を見張らなくても平気そうね」
   無愛想な剣士の問いに、そちらを見ぬままナミは答える。抱えていたノートをテーブルに置き、ビビの差し出した記録を元に海図になにやら書き込みはじめる。難しそうな単語が飛び交っているが、サンジには余り意味のないことだ。これはナミさんの仕事の領分で自分には良く分からないことも多いし、今はこの素敵な光景を眺めているほうがずっと有意義だ。額を寄せて真剣な顔で話し合い、ふと笑みを漏らす美女二人。お茶を入れ、流しに寄りかかって彼女達を眺めている、この瞬間が幸せだ。
「でも本当に、さっきは冷や汗が出たわよ」
 作業が一段落ついて、ナミがカップに口をつけたところで、ビビが大きく身震いをして言った。
「何かあったのか?」
 ついでに入れてやった粗茶を啜りながら、ルフィが問う。
「梯子をちょっと踏み外してね。大事無いけど」
 笑われるから黙っててって言ったじゃない、とナミはビビを軽く睨んだ。
「ナミさんにそんな危険を冒させるわけには行きません! 危険は全部俺に任せておいて下さい!」
「大丈夫よサンジくん。ちょっと滑っただけ。私としたことが情けないわ」
「そんなサンダル履いてるから悪ぃんだろ」
 またもや口を出すクソ剣士。こういうのを履いとけ、と指すのは自分の軍靴もどきだ。ナミさんにそんな無骨な靴が似合うものか。いや、ナミさんなら何でも似合わせるかもしれないが。
「いやよそんなの」
 予想通り、ナミさんはカンマ1秒以下で断る。
「こんなヘマ二度としないわ」
「そう願ってるぜ」
 憎まれ口の応酬に漸く馴れたらしいビビが、むくれたナミを宥めにかかる。ゾロには同じくウソップ。自分のミスを恥じるように口を尖らせるナミの向う。ウソップの話に相づちを打ちつつ、ゾロはちらりとナミの方を見やり、一瞬安堵したような、腹を立てたような、不釣合いに複雑な表情を浮かべた。
 俺は少し不機嫌になった。


 実は食わず嫌いらしい船長は、牡蠣のシチューをえらくお気に召し、魚料理にしては珍しいほど良く食べた。とは言っても基本食事量が並じゃないから、俺はルフィのおかわりコールから鍋をガードするのに大忙しだった。
 どうやら足首を捻ったらしいナミさんは、あまり顔色が冴えないようだった。食欲は常と変わらなかったから、心配しすぎるのは重荷になるだろうし、話題にしないほうがいいと判断したのだ。しかしそう決めはしたものの、湿布薬が目立つ細い足首が気になって、俺は夕食の間中なんとなく上の空だった。だから気付かなかった。
 クソ剣士が相変わらず複雑な表情でナミさんを見つめていたことに。


「Mr.ブシドーとナミさんって、とても不思議な関係だわ」
 皿を拭きながらビビ姫がいきなりとんでもないことを言うものだから、俺は洗いかけの皿を取り落として割ってしまった。
「食事中も絶対に目を合わせようとしなくて、口を開けば言い争って。でもとてもよく分かり合ってるのよ」
 俺は立て続けに二枚の皿を欠く羽目になった。
「そう、かなあ?」
 そう言った声が掠れて裏返って引き攣っていたものだから、ビビ姫大いに慌てたようだ。
「憶測よただの気にし過ぎかもしれないし……さっきちょっと思ったのよね」
 沈みゆく夕陽に夕飯時を察知したゾロは、ダイニングへの階段でナミさんとすれ違い、すれ違いざまに『手伝うか?』と問うたのだそうだ。ナミさんは『私じゃなきゃ出来ないしね』と答え、ゾロは『梯子に気をつけろよ』とだけ言ったという。
「それをいうならルフィ船長とナミさんの関係も不思議だけどね。あんなに噛み合ってない会話が楽しくできるのって凄いわ」
 そりゃあそうだ、と相槌を打って、欠けた皿を片付ける。下拵えくらいにはまだ使えそうだ。平静を意識して装う・・・・・・意識しなけりゃ駄目なほど動揺している、自分。ふと思い出したのはクソ剣士があの一瞬に見せた表情だった。
 一枚目の皿の破片を片付けているのを隣で見ていたビビ姫が、やがてぽつりと言った。
「弱音吐くわけじゃないけど、羨ましいわ」
「弱音なんていくらでも言ってくれて構わないのにな」
 そう。安心して頼れる男でありたい。強い心がふと揺らぐ瞬間があるなら、そのときこそ支えになりたい。
「弱音なんかじゃないの。無条件の信頼って重荷にすらならないものなのね。互いに強いからかしら・・・・・・? 私にはまだ手の届かないものなんだなって思ったの」
「ビビちゃんは強いよ。強くなけりゃこんなとこに居るもんか。自分と、故郷のために戦って・・・・・・」
 誰の助けも得られぬ苦しく辛い日々を、一人で戦いつづけたひとを知っているよ。俺達は彼女を助けることが出来た。誰も無理だと、彼女自身ですら諦めかけていたのに。だから多分あなたも大丈夫。俺達が助けると決めたから。
 そしてあなた自身も強いひとだから。
「バロックワークス。あの嘘みたいなたてまえが、本当だったら良かったのに」
「・・・・・・理想の平等国家建設? 王族らしくない意見というか、らしいというか」
 半分程度しか聞いていない事情。今となっては問うつもりもない。助ける、とルフィが決めた。俺もそう決めた。どちらが先なのかさえ、どうでもいいことだ。
「Mr.9とMiss.マンデー、他にも多くの仲間と話をしたわ・・・・・・仲間、だったのよ。アラバスタとはなんの関係もなく。あの二人、私を助けてくれたわ。私はスパイだったのよ。彼らを騙していた」
「騙されたなんてきっと思っちゃいない。あなただって騙してなんかいない」
「決め付けてもらうと、少しはましな気分になれるわ」
 ビビは涙の一粒も零さずに毅然としていた。強いひとだ。あなたも同じ様に戦えるひとだ。
 彼女と同じ様に。
「コックさん、あなたとても優しいのね。博愛主義っていうのは本当みたい」
「それは勿論、貴女のことを思うが故に……」
 条件反射にも似た本能が口を操っている。心の底からの大前提。
「でもナミさんはもっとずっと強い人だから、特別なんでしょう?」
 俺は唖然とした。ビビは微笑っていた。大前提のさらに底を見透かされた俺は、多分ひどく間抜けな顔をしていただろう。
「博愛主義なんて言葉じゃ全然足りない……」
 もっと強い感情。手を伸ばしたくなる。手に入れたくなる。焦がれる。切望する。率直な賞賛と羨望と。
 手に入りそうにないもど素晴らしいものをただ思うこの心を何と呼ぶ?
「これが多分恋ってもんだと、俺は思ってるんですよ」
 そして今あなたに抱いた尊敬の心さえ、どう変わっていくかなんて今の俺には予測もつかないんです。

 でもこれは大前提の底に仕舞っておこう。






だって恋はハリケーンなんだ


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