くちなし




道場からの帰りの道沿いに一本の木があった。


 丈は自分と同じくらい、緑色の葉は濃く、夏の初めになると、白い花がたくさん付いた。咲き始めと萎れて落ちる寸前にとても良い香りを放つのだった。もっとも彼にとっての興味の対象は専ら花ではなく、その木につく滑稽な青虫の方だった。突付きまわすとカタツムリに似た橙色の角と、強烈な匂いを出す。あいつは逆だった。青虫片手に追い掛け回したら、半泣きになったあいつは竹刀で応戦してきて、結局こっちが痛い目を見た。


 夏の終わりに、肥え太った青虫は青く小さな蛹になった。蛹はだんだん茶色く変わって、木の葉も全部落ちてしまって冬がきた。蛹の付いた枝は誰にも知らせず隠しておいた。死んだように見える小さな蛹の中で、どんな力が働いているのか不思議だった。似たような不思議なことは幾つもあった。
 翌年羽化しかけたそれを持ってあいつに見せに行った。女というやつは、青虫は何より嫌いなくせに、蝶は綺麗だといって喜ぶのだ。一時間ほどでアゲハチョウはどこかへ飛んでいってしまった。
「あんな狭いところから飛んでいくのね。すごいね」


 そうしてその年の夏も、やはり白い花はきれいに咲いて、青虫は丸々と肥えていった。去年と同じに追い掛け回して、やっぱり今年も殴られた。こぶのできた頭をさすりながら家に帰る途中も、白い花はとてもいい匂いをしていた。思い返して、青虫つきの花の一枝を、道場の格子窓から放り込んでおいたら、次の日には玄関先に飾ってあった。
「最初はとても喜んでいたんだがね、次の瞬間にあげた悲鳴といったら・・・」
 どうにか笑いをこらえながら先生が耳打ちしてきた。その場に居なくて残念だったね、ゾロ。最初は本当に喜んでいたんだよ。
 稽古の間中むくれていたあいつは、練習中に二度余計に殴ることで満足したらしい。面白くないのはこっちで、二度とやるまいと決めた。
 その年、あいつは花の咲く間・・・・・・つまり青虫の居る間は、絶対にその木に近寄ろうとはしなかった。夏の終わりごろ、葉はすっかり穴だらけになって、随分たくさんの蛹が出来た。次の春また見せてやろうかと思った。いつになったら青虫と蝶とが同じものだと認めるんだろう。やっぱり女というやつは分からないと思った。

 いつまでたってもその思いが晴れぬままで、随分あいつを悲しませた。


 その夏の初め。白い花咲くその木から、ただひらひらとたくさんの蝶がどこかへ飛んでいって、その晩遅くに一人で帰る途中、白い花は辺りに良い匂いを振りまいて、腹が立って仕方なく、止まったはずの涙が出た。
 あいつはとうにいなくなってしまった。


 青虫のついてない一枝を折って、握り締めて歩くうちに視界は滲んでしまって、白い花を思い切り地べたに叩きつけた。






蝶の羽は人の魂を意味するのだと、知ったのは随分後だった。


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