この腕に賭ける




 新聞に折り込まれたその紙を眺める。数年前からの毎朝の日課。
 数多い賞金首の顔写真に、赤い削除印が押されていくのを眺める。
「お前そんな字ばっかのよく読めるなー」
 船首近くの陽だまり。私はデッキチェアで新聞を読んでいた。ルフィは舳先の羊に逆向きに跨って、しみじみとこちらを眺めてそう言った。
「新聞くらいあんたも読むでしょ」
「おれは見るだけ。なあ、今日も挟まってるか? 例のやつ」
「毎日同じもの見て何が楽しいのかしらね?」
 そうは言いつつも、折り込み広告に混ざったそれを探し出すと、ひらりと差し出してみせる。伸びてきた腕がそれを掴んで元の長さに戻る。
「おお、載ってる載ってる」
 嬉しそうな顔をしてルフィが見ているのは、広げれば上半身くらい隠せるような広告の中の、ほんの小さな一コマだけ。三千万ベリーで売られる自分の命。それだけが彼の夢を世界中に証明している、今のところ唯一のもの。
「そこに載ってんのは一応全員悪党なのよ。あんた分かって喜んでるんでしょうね?」
 舳先に座るルフィが広げた紙の裏面、見えてしまう小さくはない一コマ。つい最近赤い削除印が押されたばかりの、あの男の顔。


**


 賞金首リストは役に立つ。海軍の情報力は大したもので、彼らの動きや拠点が逐一記された記事も少なくはない。そうでなくとも手に入れるのが難しい「本人の顔写真」付きで掲載されるのだ。海軍は海軍なりに危険を冒し、勤めを果たしてはいる。
 私はその日の朝更新されたばかりの賞金首リストを眺めていた。ほんの数年前にはありえないような紙面だった。雑魚もそれなりも関係なく無作為に押されたような沢山の削除印。小さくその下に書かれた日付と賞金首の生死。そして隅の方のコラムに今日も同じ名前が載る。
『ロロノア・ゾロ』
 大きな街に行けば、耳を澄まさずとも聞こえてくる名だった。私が出入りしていたのが、一般市民ではなく、どちらかといえば海賊寄りの店だったせいかもしれない。
『血に飢えた魔獣』『三刀流のゾロ』。噂話のなかで、或いは仲間をからかうとき、海賊達の冗談半分の口調の陰には、明らかな恐怖がちらついていた。
 自分達だって同じでしょう? 誰も血に飢えてるんじゃないの? 私は知っている。そう呼ばれるのにもっと相応しい奴がいる。
 お互い殺しあってこの世からいなくなってしまえばいい。欲するものが暴力でも金銭でも同じこと。飢えたもの同士喰い合って。
 血に飢えた海賊狩り、どうしてあの男を殺さない?
 あいつに懸かった賞金はとても高いのに。


 そうして私は毎週増えていく削除印を眺めていた。


**


「おいナミ、日のあたるとこで字見てっと眼悪くなるぞ」
 眩しいのか、もともと愛想のない顔をさらに無愛想にして、気配もなく突然真後ろに立ったのが、ゾロだった。
「あんたこそ。腕の手拭、そんなふうにしてると変な日焼けするんじゃない?」 
「俺がそんなこと気にするかよ」
 そう言いつつも解いて見せた手拭の下は、呆れたことに周りと全く同じ色をしていた。
「あんまり日焼けしすぎると年取って癌になるわよ」
「今更気にするようなことじゃねえし、今から気にすることでもねえだろ」
「確かに。癌ごときであんたが死ぬとも思えないしね」
 器用に片手で手拭を直す、その利き腕は日に焼けて浅黒く太い。この腕で多分多くの海賊を斬ったろう。多くの血を流したろう。その白い綺麗な刀振りかざして。
 その刃が自分に向けられることはない。
 ねえどうしてあんたはあの男を殺さなかった?
「ルフィもだ。んなとこで浸りきってると海に落ちっぞ」
「やだ! ここが気に入ってんだ!」
「またんなもん性懲りもなく見てんのか」
「だって俺が載ってる。それにいろんな奴載ってるし。これから会うかもしれない奴とかも、載ってるかもしんないし」
 名前くらい知ってたほうがいいだろ、わかんねえと呼べないからな! そう言って指定席から動こうとしない。
「一応勉強のつもりなのかしらね」
 しかしゾロはあっさりと否定した。
「んなことなんも考えてねえんだろ。用件告げたら絶対にあいつ、あれ読むのやめるぜ」
「用件?」
「おう。昼飯すぐだから呼んでこいってさ」
「そうか! そういえば腹減ってたな、さんきゅゾロ!」
「ほら、な」
 今度は素直に指定席から降りて、ダイニングへと直行するルフィ。ゾロはやれやれと、しかめた眉根を少し緩めて、ひらりと中に舞った広告紙を拾った。
「ねえ、昔のあんたも、それ見て仕事してたの?」
「仕事?」
「海賊狩り」
 何にも興味ございませんといった風情の気の入らない視線が、内側の一点で止まって僅かな笑みを浮かべる。手配写真のルフィは、満面の笑みを浮かべて、いくら本人が海賊だと名乗っても、その称号が時に持つ残虐なイメージにそぐわない。
「そもそも海賊狩りってのは一体なんだろな?」
「質問の答えになってないわよ」
「初めから海賊狩りになろうなんて奴ぁいねえだろ。金やら名誉やら、そのうち周りが勝手に海賊狩りに仕立て上げちまう。いったんそう呼ばれちまうと、本人がいくら違うっつってもやめねえんだよ」
 お前も多分その口だろ、といきなり振られて、思い当たる節がないでもない私は口を閉ざす。
「まあ、言いたい奴には言わせときゃいいんだけどな。誰がなんと言おうと自分が違うって分かってんだからな。必要なやつさえちゃんと分かってんなら、それ以上は望まねえ」
 その瞬間に意味を悟る。それは覚えのある感情。否定できぬ苦しさの種類は多分違うのだろうけれど。
 強い、優しい男。そうね、あんたを初めから知ってたら、私は多分ここに居ない。
「俺の場合な、こんなもん見ねえで直接情報拾ってた。近海にいて、ちゃんと悪人な奴はいないか聞いてみる。そうでなくても逆に俺を狩りに来る奴もいたしな」
「名が売れるから?」
「名が売れて、賞金が上がる。それが名誉だとほざくやつが結構いるんで驚いたっけな」
 あとは帆に吹く風任せ。定期航路を伝って、街から街へ渡り歩いて、鷹の目を捜して。
 そうやってこの海を彷徨っていたゾロを、私は探しに行こうとは思わなかった。多分探そうと思えば簡単だっただろう。けれど私はそうしなかった。 
 魚人たちに敵う人間がいるだろうか? 失敗すれば全てが終わる。血に飢えた海賊狩りが、海賊よりもましだなんて保証が何処にある? 
 そうしてルフィに会って、ゾロに会って、命まで助けられて。ウソップの村を守って。信じられなかった海賊狩りを信じてもいいのだと知って。それでも私は助けを求めようとは思えなかった。私も同じ様に救われるとは信じられなかった。共に戦ってくれるとは思えない。相手は魚人。失敗すれば今までの私の苦しみはどうなる。嘘でも大切なこの居場所もなくなる。賭けはできない。
 だから私は頼らず逃げた。
 今度は亡くすのが怖かった。
「まさに墓穴を掘りに来るわけね。海賊ってやっぱり馬鹿だわ」
「まあな。お前に言わせるとそうなんだろな。無駄足も踏んだが、腕上げるにはちょうど良かった」
 手の内に広げた賞金首リストを裏返し、ゾロはある一点で微妙に視線を泳がせて、ぐしゃぐしゃに折りたたんだそれを放って寄越した。削除印の押されたアーロンの写真に気付いたのだろう。そして私の言いたかったことにも。
「海賊狩りって名乗ったことなんてねえのにな。ただ適当に潰してっただけなのに、誰も勝手なことばっかり言いやがる。俺は掃除屋じゃねえってんだ」
 分かってる。今はもう分かっている。
 こいつが私に切っ先を向けることはない。私がこいつの行く道筋に立ちふさがることはないから。そして同じ道を行くなら、こいつは私に背を向けたまま刀を振るうんだろう。
 そして私はこの男を信じていいことを知っている。
「人がなんと言おうと聞きゃしないんでしょ、あんたは」
「まあな。おまえも同じだろ。何と呼ばれようが聞きゃしねえ。そういう女だろ」
 ほらそういう余計な一言を付け加えるから、私は意地を張り通す。
 言わなくていいことばかり言って、言いたいことは言わぬまま。
「使われるのいやだって言う割に、わざわざ呼びにくるのね」
「たいしたことじゃねえからな」
 立ち上がりついでに、新聞を束ごと奪おうとした腕に至極自然を装って掴まってやる。そのまま抱え込むように腕を引く。そうすると殊更無愛想な顔をしているつもりで、ばればれの困惑顔を浮かべる。ついでにいうならまんざらでもない様子。全部お見通し。言う言わないなら互角でも、本気と演技の境界線ならゾロは私の敵じゃない。
 そうやって私の真意を探って悩んで、何時まで困っているつもり?
 自分の真意も掴めないままの私と、どっちが先に腕を放す?






「こらてめェクソ剣士!ナミさんから手を放しやがれ!!」


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送