髭とボイン
何時もどおりの夕食の席で、何故かナミは違和感を感じた。
周囲を見渡してみても、メンバーが変わるわけでもなし、料理が特殊なわけでもなし。給仕の順番はちゃんとレディファーストで、サンジのエプロンにアップリケは付いてないし、チョッパーの角はちゃんと二本あるし、ゾロのシャツは白だし、ルフィの傷は左頬だ。ウソップの鼻も長い。
何が違うのかしら?
食事中微妙に上の空なナミの様子に、顔を見合わせたのはサンジとルフィだ。
やっぱり気付いたろ。いやあれは微妙に気付いてねえよ。
落ち着かないナミの隣で落ち着き払って箸を動かすゾロの、頬の。
眠ろうかと思ってソファを倒していたら、上の扉が何時もより速めに叩かれた。
開けてやった向こうでやや逆光のゾロの顔。
「おい、剃刀持ってねえか」
顎を撫でる手に気付いた、薄っすらと青みの無精ひげ。
「ああそれ!」
「ん?」
ナミは手を伸ばしてゾロの頬に触れてみた。ざりざりとしたその感触は、朝一に触る感触よりもなお濃い。
「無駄毛剃りとかに使うやつでいいから」
左アッパーが喉笛に決まり、ゾロは洗面所の扉まで綺麗に吹っ飛んだ。
「男四人で使ってりゃ、それは切れも悪くなるわね」
それでゾロは思い出したんだそうだ。小さな頃に大人が髭剃りを研いでいたのを。
「あれは剃刀じゃなかったのかなあ。そういや柄の形が違ったような」
「知らないわよ。少なくとも安全剃刀ばらして研ごうとしたあんたが悪い」
当然剃刀はぱっきり折れて、髭が剃れずに今日で3日目だという。数日の無精ひげなら非常時なら当たり前だけれど、非常時にはまじまじ男の顔など見る暇も無い。
疎らな髭がセクシーな男もいるが、ゾロはどうやらその類ではなかったらしく、男臭さがだらしなさに転じていかにも呑兵衛の寝太郎といった風情。かといって両膝に拳など据えて座らせてみたら、食詰め浪人切腹寸前之図の出来上がりだ。
「食事時から俺を見ようとしないだろう」
「意識してのことじゃないんだけどやっぱり嫌」
はっきり言われて傷ついたらしい。食い詰め浪人、おもむろに刀を掴んで。
「こいつで剃ってみるのも・・・・・・」
「止めて止めて止めてー!」
よりによって鬼徹は止めて下さい。
「貸してあげるからちゃんと剃って」
「無駄毛用?」
「セクハラで罰金取られたい!?」
「とりあえず俺は剃らなくても問題ないんだが。お前がどうしても嫌だってんなら」
俺はこれで剃るし?
「大切な刀が髭剃りにされたらぐれるわよ」
別にそこまで嫌なわけじゃあないんだけど。
「どうして同じ3日間なのにサンジ君はさほど見苦しくないのかしら」
「あいつはあんまり伸びないたちなんだと」
洗面所でルフィが暴れないのは、あそこでコックの邪魔をすると、つまみ食いと同じくらい後がまずいからだという。伸びないがゆえに髭へのこだわりは強いらしい。
「髭が伸びるのは何ホルモンだったかしら」
「知らねえ。だから次の寄港地で剃刀買ってくれ。できたら研げるやつ」
「無精髭があると、なんだか知らない海賊みたいだわ」
目を閉じて触れて、髭があるときっと戸惑うのだと思う。
振るう刀の凄烈さに、鈍い輪郭は似合わない。
何時だか、戯れに触れたコックの顎髭は一瞬遅れて煙草の香を伝えてきた。
「髭剃らないと、キスもさせてくれないだろう、お前は」
「あんたがキスなんて単語を素面で言うようになるとは思わなかったわ」
「次の港は何時着く?」
「明日や明後日じゃないことは確かだわ」
「そうか」
ええ、全くもって残念だわ。
髭のある男に愛情を感じる様になれたら、港など着かなくても別に構わないのだけれど、他の男を思い出す様じゃあいけない。ひっかかりは理性を呼び起こしてしまう。
「剃刀、買ってあげるわ。頑丈で無駄に物の良いのを」
「そんなに髭が嫌か」
「嫌よ。でも1ベリー払って」
「1ベリー?」
「縁は切りたくないもの」
「剃刀程度で切れる縁か?」
「無精髭程度で触りたくなくなる縁よ」
そりゃあ辛いな。オールで船漕ぐか?
そうね、無駄な欲求を昇華するためにせいぜいトレーニングなさいませ。
なんだか、とゾロは座りの悪い顔をしてこちらを見つめる。
「剃らないと問題無くもなくなってきた」
「安全剃刀、貸してあげましょうか?」
ナミはざわつく胸を抑えながら箪笥の引き出しを開けた。
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