そういうこともある。




 闇色の衣装を纏い、ヤツは音も無く街を徘徊する。
 影から影へ。社会の暗部に潜み、時折その存在の片鱗を太陽の下に表す。
 何をするでもない。ただその不吉な影で過ぎるだけで、世界は阿鼻叫喚の地獄と化すのだ。


「これで全部だな。わざわざ運ばせちまって悪かったな」
「いいさ。どうせ暇な身の上だ。イモ袋と玉葱と、こっちの木箱が茶葉と上物の酒。肉は明日取りに来てくれ」
「あっちの樽は?」
「ああ、アレはな・・・・・・久々のお客へのお礼みたいなもんさ。今年の出来はなかなか悪くねえ。樽は見た感じ古いが、中は完璧な新作だ。まあ楽しんでくれよ」

 そう。恐らくは最後の寄港地。寂れた港町だった。
 あの時既に、危険は彼らのすぐ側まで確実に迫っていたのだ・・・・・・。


***


 夕食の片づけ中。ナミが怪訝そうに首を傾げているのに、最初に気付いたのはゾロだった。
「嵐でも来そうなのか?」
 有能を通り越して天才な航海士は、第六感的に天候を予知する。
「ううん。そうじゃないけど・・・・・・なんか、変な感じがするのよね・・・・・・」
 サンジが皿を洗い、ナミとビビが拭き、ゾロが仕舞う。
 横一列での流れ作業が滞り、サンジが真面目な顔で洗いあがった皿を渡しつつ言う。
「ここは大丈夫だから、空見てきてくださいよ。ナミさんの勘は良く当たるんだから」
「本当に、そう言うんじゃないのよ・・・・・・ねえビビ、あなた感じない?」
 いきなり話を振られたビビは、首を傾げつつ辺りを見回した。
「もしかして、さっきの音って気のせいじゃなかったのかしら」
「音?」
 獣並の五感を誇るゾロが、思い当たる節がないという風に口を曲げる。再び目を閉じて真剣に気配を探っているらしいナミが、重々しく口を開いた。
「ビビにも聴こえたのなら・・・・・・あんまり考えたくなかったんだけど・・・・・・アレよ」
 十中八九ほぼ間違いなく居るわこの部屋に。
 そうナミが言い切った途端、ビビの顔が目に見えて青ざめる。
「どうしたんです? ビビちゃんもナミさんも」
 さっぱり分からんと顔を見合わせる男衆。心持ち視線を低めに身構え、戦闘体勢に入った女性陣の視線は、やがて部屋の片隅に集まった。
 イモ袋と樽。やけに古びた樽は先日港で貰ったものだ。中に入っていたのは、えらく出来のいい葡萄の新酒。中身は半分以上空になっている。
「ビビがアレを知ってるとは思わなかったわ・・・・・・だって一応お姫様育ちでしょ」
「ウイスキーピークには時々出たものよ・・・・・・あんな恐ろしいものは無いわ」
 顔を見合わせて深くうなずきあうナミとビビ(それにカルー)に、これまた疑問符を顔に浮かべたルフィが無邪気に問う。
「なあアレって・・・・・・もしかしてアレか?」
 その訳知りな、苦笑気味な表情に心象を害したらしいゾロがさらに口を曲げる。と、サンジが洗いものの手を休めて溜息をついた。
「・・・・・・そうか成程。古い樽に寂れた市場・・・・・・そうだよな。ありえねえ話じゃねえな」
「なんだよコックの癖に衛生管理がなってねえぞ」
「言ってくれるなよ・・・・・・一応点検はしたんだ。港に泊めてる間に向こうから乗り込んできたのかも知れねえだろ」
「まあな」
 したり顔で肯くウソップとサンジ。一人取り残されたゾロ。
「何をお前ら納得してやがんだ!?」
 イライラが頂点に達したゾロが大股でそちらに向かって踏み出しかける・・・・・・のを止めたのは、なんとビビの手だった。かなり豪胆な王女様が爪が白くなるほどの力でシャツの端を掴んでいる。思わず顔を見ると限りなく真剣だ。恐らくは無意識なのだろう。
「何が居るってんだ・・・・・・?」
 思わず刀に手がかかる。
「ルフィ、お前手ぇ伸びるだろ・・・・・・どかしてみろ。ウソップは構えてろよ。瞬殺が肝心だからな。レディーの悲鳴は聞きたくねえんだよ」

 一、二、三。

 コックの合図から三秒以内に全ては起こった。
 ルフィの伸びた腕が、イモ袋を引っつかんで勢い良く跳ね飛ばした。
 同時に放たれた鉛星。しかし敏捷性では比ぶるべくも無いアレは、まんまと必殺の攻撃をかわし、その短い脚の全力を持って駆け抜けた。
 カサカサカサカサッ。
「きゃぁぁぁあああぁぁああ!!!!」
「嫌あああぁぁぁぁああああ!!!!」
 そしてお嬢さん方はそれぞれ手近なところへ跳びついた。


「飛ばないで飛ばないで飛ぶのだけは嫌〜〜っ」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ナミさん〜なんてかわいいんだ〜〜」
「・・・・・・あら、Mr.ブシドー・・・・・・・・・」
 
 ぎううと抱きしめ返されて我に帰ったナミは、極めて至近距離・・・・・・どころか頬に感じる髭の感触に慌てふためき、幸せそうなサンジを全力で押し返す。
 そしてやけに静かな隣にふと気付く。
 彼らは見つめ合っていた。
 正確に言えば片方は硬直していた。
「す、すみません。Mr.ブシドー・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「すみません。あの、ごめんなさい。ええと、すみません・・・・・・」
 その間約10cm。真正面から顔つき合わせたまま物も言わず硬直しているゾロに、今度は別の意味で青くなり、謝りとおすビビ。
「おいクソ腹巻! ビビちゃんから離れろ!!」
 とはいっても、全力でしがみついているのはビビの方だったりする。
「なあお前ら、今動かない方がいいぞ」
 暢気な船長の言葉は何時でも嵐を引き起こす。
「だってお前らの真後ろに居るし」

 ・・・・・・・・・・!!

 キャーイヤーッ!と叫び声が上がるより早く。
「おいコック代われ!」
 ささやかな幸せに浸っていたサンジから、ひょいと片手でナミを分捕り返し、代わりにビビを押し付け預けて、一足飛びに壁から離れるゾロ。
 何はともかくアレが怖いとサンジに思いきりしがみつくビビ。
 奪われたナミに心残りな気がしつつも、全力でしがみついてくるビビに相好が崩れっぱなしのサンジ。
「クェェェッ!」
「よしっ!」
 雄叫びと共にカルーが放る紙の束。空中でナイスキャッチそのままびゅんと伸びたゴムゴムルフィの渾身の一撃。
 標的の現在位置ではなく進行方向を狙うという高等技に、さしものアレも年貢の納め時なのだった。
 そして次の瞬間、ウソップの火薬星により、悪の化身は姿もとどめず滅びたのである。 


***


「ビビちゃん、やっつけましたからもう大丈夫ですよ・・・・・・ね? ちゃんと流して洗って消毒して拭きましたから」
 宥めるような優しい優しい声でサンジが言う。
 それら全部、やったのは俺だとウソップは顔をしかめる。
 しかたあるまい。今だ床に下りるのを嫌がるビビを、サンジはちゃっかり抱きかかえたままなのだ。
 しかも後ろではもう一組がいちゃついている。
「だってびっくりしたんだもの。つい隣にいた人にね・・・・・・ゾロだってそうでしょ?」
「あっちの方が俺はびっくりしたんだよ・・・・・・やっぱり近くだと見慣れねえもんだ」
 やっぱりこっちの方が落ち着くな。
 なんてことを言いながら引っ付きあったままだ。
「女ってなんでかアレ怖がるんだよなー。マキノもそうだったぞ。テーブルの上に登って震えてんだ。箒持ってさ」
 新聞を取ってきた気の利くカルーの首筋を撫でてやりながら、心底面白そうにルフィは笑った。
 新聞は古新聞ではなく、先刻届いたばかりの新品だったが、それを勿体無いと咎める気力はナミには無かった。それほどまでにアレへの恐怖は強いという事だろうか。
「レストランには大敵だったしな・・・・・・」
 感慨深そうにサンジが呟く。あの過激レストランバラティエに、アレが出た日にはどんな騒ぎになるのだろう。それとも目もくれずに瞬殺だろうか。それも怖い。
「私だって頑張ればアレくらい退治できるわよ・・・・・・でも自分が戦わなくていい時って、覚悟が決まらないのよね・・・・・・つい悲鳴上げちゃうのよ」
 もうまるで口調は普段どおり。けれどナミはまだゾロに引っ付いたまま。
 今度は随分のんびりとした様子のゾロ。
 見せ付けてくれるなよ、とウソップは溜息をついた。
 見慣れねえって? 硬直しといて今は随分寛いでるじゃねえか。しかも取り替えろとか言ってたな。どうでもいいけどさっさと離れろよ。
 これ以上見せ付けなくても充分だからよ。
 楽しそうに見えなくも無い仏頂面で、しっかりナミを抱き上げたままのゾロから目をそらしたウソップは、そらした視線の先で今度はサンジが、やっと落ち着いてすみませんと恐縮するビビに、思い切り甘くほっぺちゅう真っ最中なのをばっちり目撃してしまった。
「ウソップ、んな情けなさそーな顔すんなって」
 ルフィはからからと笑い、なんだかとても切ない気分になったウソップは、カルーの柔らかな羽に突っ伏したのである。






「・・・・・・なあ、ところで何時見慣れたんだ?」


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