『永遠の美しさ』





 エロというものは明るく楽しくなければいけない、というのがサンジの持論である。
 これがエロティックだのエロティシズムだのいうなら、淫猥だの淫靡だのという拘りもあるのだろうけれど、茶化しも含めて短縮した言葉は、どこか開けっぴろげでおおらかだ。
 その持論が影響しているわけではないのだろうけれど、真っ昼間から娼館に赴く彼の背中には、男臭さに溢れた海賊船の船員にありがちな飢餓感など全く無い。
 天気がいいから散歩でもするか。美味い食材があるかもしれないし、いい女は絶対にいるだろうから。そういうノリで。
 それでも午前中のオネエサマ方は夢の中だから、午後のお茶の後くらいに、サンジは絵硝子の嵌った裏道の扉を開ける。表通りに近いほうの小奇麗な店。


 あれは寝坊だからまだ寝てるかもしれないよ、との断りに、寝顔を眺めるのが好きでね、と安くは無い前金を払い二階に上げてもらう。こんな時間から、という呆れ半分の視線を避ける。
 一番手前の半開きのドアから中を覗くと、やや大きめの寝台の上に、毛布団子といった様子で丸まっている物体があった。その端から見える長めのブロンド。階下の肖像画めいた写真より大分輝きは褪せて見えたが、むしろ人工的でなくていい。
「抱きつくなら俺にしときなよ?」
 絡まりきった髪に触れようとして、跳ね起きた女の頭突きを強かにくらい、サンジはその嫌な既視感に眩暈を覚えた。


「本当に訳わっかんない男ねぇ」
 二人腕を絡ませて裏通りを歩く。細い階段が続く路地を、右へ左へ。
 シャワーを浴びてみれば、写真よりもずっと生き生きして見えた。
 何、するの? とえらく単刀直入に訊くので、その前に夕飯食いに出ませんか、と誘った。それなら髪を結わなきゃというので高めのルーズに結ってやり、どっちがいいと訊かれたドレスは赤、水色、黒。どの色も連想するものがありすぎて、結局濃紺の膝丈。細めのブロンドに良く映えた。
 夕方の早い時間だというのに、既に満員に近いようなバルの端の方の席を陣取り、テーブル満載のタパスとワイン。喧騒の中でパンコントマテを齧りながら話題は尽きない変な客列伝。
「それからいったら俺すごくまともな客だよねえ」
 最後の止めに往復平手打ちを強請ったという紳士の話を聞いてサンジは溜息をついた。これが御仕置き志願だったらそんな客追い出すんだけどねー、と彼女は笑う。そうそう変な客層の店を選んだつもりは無い。ただ、見た目がまともで中身が変な人間というのはどこにでもいるものだ。
「君はまともすぎて変」
 既に君呼ばわりの彼女は多分ロビンちゃんと同年代なんだろう。
「レディを夕飯に誘って変人呼ばわりされたのは初めてだ」
「デートでもしてるみたいじゃないの」
「そんなようなつもりだよ。即物的じゃなくてね。ムードにこだわりたいんです」
「そこが変」
「酷いなあ」


 薄闇の街中を歩く。店じまいしかけの花屋から花を買う。安いのを一抱えも買って、リボンをかけてもらいその場で贈る。嘘でしょと頬を染めて、彼女は花束に顔を埋めて、ああ甘いと溜息をついた。
 街灯が灯されはじめた。


 キイを受け取って、振り返ると酷く複雑そうな顔をした彼女がそこにいた。
「どうしたの」
 こちらを見返す目には微かな疑いと、恐れがある。心当たりならあった。
「変じゃない?」
「うん」
「料理人って刃物持ち歩いてたりするの?」
「まさか、刀馬鹿じゃあるまいし。何も持ってないよ」
「どうしてわざわざ部屋なんか借りるの?」
「毛布団子なあなたの頭突きを思い出すからね」
「私こう見えても海賊二人追っ払ったこともあるのよ。軟派なコックなんかめっためたよ」
「そりゃ恐いな。でもどうせならめっろめろにさせてよ」
 そんな様子を見ていたフロントのおばさんが口を開いた。
「……ちょっとお客さん、物騒なのはお断りだよ」
 二人して顔を見合わせる。
「……まあ、殺人淫楽症には見えないわね。信じてあげる。前金だし、今夜は私はあなたのもの」
「……そこまで疑われてたとは思わなかったよ」
 さて行こうか、一夜の恋人。



 キスして、抱き合って、またキスして。
 まるで全く恋人のように振舞う。
 せっかく結ってもらったのにねえと散らばした長い髪の端を玩ぶ。
 明日の朝は自分で結ってみてよ。鏡に向かってるレディ見るの好きなんだ。
 あたしは誰かに結ってもらうのが好きだわ。綺麗な自分が好き。綺麗にしてくれる人も好き。
 そりゃ困った。これ以上俺にはやりようがない。
 ふふ、お上手。


 夕方買ったときにはそんなでも無かったのに、花束は夜になればなるほど強い匂いを放った。洗面所に栓をして置いておいたのが、ベッドの方まで漂うくらいに。
 眠りかけた俺を、柔らかい腕が柔らかい胸に引き寄せてくれたのは、覚えてる。
 それじゃまるで恋人どころか……。



 速く目覚めるのが職業病だけれど、それは寝寂しいからじゃあなかろうかとも疑っているのだ。そんな言葉は多分無いけれど。
 朝寝坊だという彼女よりも後に目が覚めて、シーツの真ん中にぼんやりと座り込んで髪を梳かす後姿を眺める。
 半日近く煙草を吸わなかったことに気付き、シャツまで羽織って窓際まで這い出していって隣家の屋根の向こうの煙突を眺めながら同じように煙を吹かす。
「朝食までご一緒する?」
「いや、寧ろ腹一杯」
「珍しいわね」
「気持ちで腹一杯」
 胃袋は多分空っぽ、と答えると彼女はあたしも、と少し笑った。そしてやや躊躇してから問う。
「いい船に乗ってる?」
「うん。人使いは荒いけど」
「コックさんなら、いずれは陸に上がって店持ってとか思う?」
「いや、それはあんまり」
「……例えばね。ここの港は見ての通りそう大きくは無いけどいいところよ、とか」
「歌の歌詞じゃねえ?」
「罪作りにはちょうどいい罰だわ」
 サンジは彼女の結い上げたうなじに顔を寄せて、わざとくっきり跡がつくようにキスをした。
「長い髪は流れてる方が俺の好みでね。別れるまでは解いていて欲しいな」
 彼女はせっかく結い上げた髪のピンを引っこ抜いて、こちらを恨めしそうに睨んだ。



 店の前まで送り届けて、至極あっさり踵を返す。花束を抱えたままの彼女には敢えて触れもしないで。
 一晩の恋人は契約切れだ。彼女がどんな顔をしていたかなんて気にもしない。自分達はもう別れてしまったから。
 角を曲がって、それでも気分よく足を踏み出した時、上の窓が乱暴に開いて、色とりどりの花が振ってきた。
「うわ豪快……」
「折角だけどお返しするわ。次の客でも来たらまずいもの」
「ビジネスに嫉妬なんかあるのかね? どっちかって言うと、あなたはそういうの割り切るタイプじゃねえ?」
 拾い集めた花束は、昼間はそんなに匂わない。
「客じゃなくてあたしが駄目なのよ! 罪作り!」
 少なくとも髪を下ろしてる間は連想するじゃない、と女は恨めしそうに口を尖らせた。キスしたくなる形だ、と思う。
「一晩の嘘ごと君が連れて帰って。それで匂いに埋もれて夢でも抱いて?」
「それってお互い馬鹿だと思うけど」
「馬鹿よ! なにしろあたしが馬鹿! 世迷言は忘れてね。だけど良かったらまた来て、歓待するから」
「来れたらね」
「ねえどんな船乗ってるの? いい女いる?」
「海賊船。無敵レベルないい女が乗ってる」
「なんだ女いるんじゃない。故郷に残してきた寂しい船乗りかと思えばさ」
 優しくして損したわ、と女が笑う。サンジは至極正直に返した。
「あなたも素敵なレディだよ。美人だし」
 やりでも投げるようにもう一本花が振ってきた。
「若造の罪作り! はやく行かないとそのいい女に嫌われるわよ! 毎度有難うございました!!」
 さらにもう一本を、手に持って投げつける体勢で、女が怒鳴る。どこかからうるせえと怒鳴り返す声がする。
「こちらこそ。喜ばしいひと時をありがとう」
 投げキスを送ると、遮るかのように窓が大急ぎで閉じられた。
 両腕に抱えるような花束は、流石にこれだけあれば脳に響くほど甘い。
 最後の一本は、そういえば投げてこなかった。
 部屋に飾ってくれたら、さぞかし今夜も甘く匂うだろう。



  「おーおー真昼間から甘ったるい匂いでいかにもだなお前」
「うるせえ長っ鼻、俺が俺の休日を好きに過ごして何が悪い」
「そんなだからナミに相手にされねんだよ」
 なにしろ匂いがきつくてチョッパーも寄り付かない。
「ん〜ナミさんはつれなささえこの花より甘いぜ」
「そんなに女が好きかね。そりゃ俺だって女は好きだが」
「レディは皆美しい。綺麗だ。そして美しいものこそ我が永遠の悦び! ってどっかのロマンティストが言ってたぜ」
「っていうかそれ主にお前だろ。しかも歓びだろなんだ悦びって字面が微妙にアレだなエロコックめ」

 罪作りなエロコックで結構充分上等任せろ。
 どれもこれも全て真実しか語ってないと言ったら、誰か困った顔をするのだろうか?
 自分にとってはこの花が匂うが如く、当たり前のことなんですがね。




2月5日
ストック 【におい紫羅蘭(あらせいとう)】
〜 永遠の美しさ 〜
学名: Matthiola incana (L.) R. Br. 英名: Stock





*この文章は、サンジ誕生祝いに付、
サンジが好きな方限定でDLフリーです。*

誕生花・花言葉は、第一園芸様HPより


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