『何も求めない』





 ひたひたと夕べから雨が止まない。
 湿気が多いと身体のキレが悪い。というよりも、陽の光を浴びていなければエネルギーが足りない。
足りない分を食べて補うには、自分の胃袋は小さすぎる。
 なんていうと蹴られるかもしれないが。
 女部屋に入るのは久しぶりだった。
 本棚の本が増えたな、と思う。机の上の紙も増えた。
 空気の匂いが違う。見極めようとして、その匂いがどこか自分の飢えを助長するものだと気付いて、嗅ぐのをやめた。
「どうしたの船長さん、なんだか犬みたいだわ」
 ソファにはロビンがいる。
「腹が減る匂いがする。お前の方から」
「おいしい匂いなの?」
「いや、腹が減るんだ」
「そう、残念だわ」
 ルフィは階段を降りきって、ソファの向かいの床に座り込んだ。
 ロビンは膝に広げたノートに何か書き付けては、隣の分厚い本を覗き込んでいる。
「何してるんだ?」
「碑文の記録をしているのよ」
「ポーネグリフか」
「そう」
「読めるのに、書いとくのか?」
「そうよ、同じ古い文字でね」
「あの絵文字のことか? それじゃせっかく書いても読めないじゃねえか」
「あまり皆が読めてもよくないのよ」
「不思議文字だからか」
「そう。書いてある内容はそれ以上の不思議だから」
 さらさらと、ペンは軽く紙の上を踊る。首をかしげると黒髪が揺れる。
 楽しそうだな、と思う。
「あなたは、望みもせずに何もかも手に入れていくのね」
 いつの間にか、ロビンの真っ黒な目がこちらを見つめていた。
「私の望んでいたものをあなたは見つけてくれた。あなたの船に乗って良かったわ」
「俺が見つけたんじゃない。お前が見つけたんだ」
 ルフィは真正面からその視線を迎える。どちらもそらさない。口元には僅かな笑みがある。
「もう何も見つけられないと私は諦めたはずなんだけど」
「見つけたじゃねえか」
「そうなのよ。素敵なことね。途切れた標をつなげるなんて、信じられないほどの強運だわ」
「標はお前が作るんじゃねえのか?」
 え、とロビンは聞き返した。本当に意外だという顔をしている。
「標は、お前が見つけて繋げて、自分で辿ってるところなんだろ、今」
 ルフィは胡坐の方膝に頬杖ついて、ロビンを見上げた。
「お前が探して、お前が望んで、歴史を手に入れるんだ。俺は海賊王になりたいだけなんだから、本当は歴史はどうでもいいんだ」
 無意識に唾を飲み込む。
「何も望まなくなんか無いぞ、俺は海賊で、なんだって手に入れてみせる」
 ぱたん、とノートが閉じられた。
「おまえだって、生きる目的なんかありまくりじゃねえか。あんな簡単に諦めるなよ」
「簡単、だったかしら」
 ロビンは複雑そうな様子だ。というよりいかにも難しそうな様子だ。
「だって生きてるんならどうにかできるだろ。死んでないなら、諦めるには早いぞ。死んだらどうしようもないけど」
 俺は死ぬまで諦めない、とルフィは断言した。生きてる限り諦められるような生易しい望みではない。だから命も賭けるんだ、と思う。無理矢理諦めさせられない限り、自分は夢を追おう。
「私の見てきた殆どの海賊とは、あなたは随分違っているようよ?」
「まあな、そうかもしれねえ」
「その違いが、あれを見つけ得るただ一人の素養なのかしらね?」
「さあな、知らねえ」
「あなたより遥かに強い猛者達がこの海には犇いている。その中には海賊王の遺産を望むものもいるでしょう。けれど大海賊時代幕開け以来、誰一人として、それを手に入れたものはいない」
「偉大なる航路を巡って帰った海賊なら知ってるぞ」
「珍しい知り合いがいるのね」
「ああ。ジイさんはここを楽園だって言ってた」
「望むものは全てあるってことかしら?」
 ロビンの答えにルフィは頬杖をやめて跳ね起きた。
「そっかやっぱりそういう意味なのか?!」
「いいえ、知らないわ。でも全てがあるというのは本当でしょう。富、力、名声。この世の全てといっても過言じゃないわ。そしてそれらの最も象徴的なものこそが、『ひとつなぎの大秘宝』よ」
「そうなのか?」
「違う?」
 ロビンはノートを置いて問い返した。ルフィはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「俺は『ひとつなぎの大秘宝』を見つけて、そして海賊王になる。だけど宝石とか金とかだったら、ナミにやる。ナミのほうがきっとそういうお宝は好きだからな。力は別にいい。俺が負けないだけあればいい。名声は、賞金が上がれば嬉しいけど無くてもいい」
 言葉に出すうちにルフィの表情は段々に晴れ晴れとしたものに変わっていった。何も妨げられず夢を語る子供のような、自信に満ちた不遜な表情。
「あなたは海賊なのに、何も求めないのね」
 呟いたロビンの声には僅かに苦いものがあった。
「もしそうなら、お前だって同じだろう?」
「私が?」
「お前は歴史を知りたいだけだって言ったよな。俺は『ひとつなぎの大秘宝』を見つけて海賊王になりたい。それだけだ」
 同じ言葉を繰り返して、自己暗示でもかけてるかのようだと言ったのは誰だか。
 言上げという言葉がある。宣誓でもいい。ルフィに分かった言葉は『誓い』だった。
 自分を前へ進ませる。言葉には力がある。
「ずっと探し続けてんだ」
 お前だってそうだったんだろう? とルフィが笑う。
 ロビンは目を閉じた。まばたきの内に、あの瞬間に囚われた絶望が通り過ぎる。諦めようとしても渇望していたものがある。
「そうね。その通りだわ」
 そう考えてみると私たちって随分贅沢で欲張りじゃないこと? とロビンが言う。ルフィはあたりまえだと頷いた。
「そりゃそうだ。欲しいもんは欲しい。欲しいから手に入れる。俺たちは海賊だからな」
 待つことはしても、諦めることはしねえんだ。そう付け足した。
「財宝だろうが強さだろうが伝説だろうが、海賊が夢諦めたらおしまいだろ」
 なあ、と真顔でルフィは問いかける。
 ロビンも大真面目に答えた。すっきりとした気分で。
「その通りだわ」




2月5日
おきなぐさ 【翁草】
〜 何も求めない 〜
学名: Pulsatilla Mill. 英名: Pasque‐flower





*この文章は、6日であるはずのロビン誕を5日と間違えた早とちり祝いに付、
ロビンが好きな方、或いはロビンの誕生日を間違えた方限定でDLフリーです。*

誕生花・花言葉は、第一園芸様HPより


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