TSUNAMI
3333:亀十字ためぞう様
夜半過ぎ、停泊中で人気のないはずの甲板に人の気配を感じて、ゾロは眼を開けた。
大粒の雨が吹き荒れる音に混じって、六人・・・・・・いや七人の足音がする。抑えてはいるが重い体重を伝える男が四人、ダイニングへの階段近くに、恐らくは見張りだろう、動かない気配が二人、そして船室の自分の真上近く・・・・・・倉庫の扉を開けた・・・・・・もう一人が続いた・・・・・・止まった。
天井の扉の真上に一人居る・・・・・・常には五月蝿いほどの、入り口を打つ雨粒の音が聞こえない。やすやすと侵入を許した自分に腹が立った。特にコック辺りには知られたくない失態だと思う。
隣室へと続く扉が倉庫にある。壁の向こうには今は人の気配はなく、ゾロはそのことにひとまず安堵した。
今この船には誰が残っている? 確か宿は取れたといっていた。二部屋。部屋が取れて、ナミが船に残るはずがない。ナミが行ったならサンジも陸だ。いや、サンジは停泊中の夜は大概何処ぞへ消えてしまい、翌朝戻るのが常。ビビは言うまでもなくナミと一緒のはず。当然カルーも、チョッパーも。ウソップはどうだ? いや、あいつが残っているなら、間違いなくこの部屋に居るはずだ。ルフィは? ルフィはまさか船首に? いや、あいつには滅多な危険は及ぶまい。充分すぎるほど強いから。
そして見張りに向かない船長の代わりに自分が残ったのに。
隣室の階段が軋んだ。足音は二人。甲板には今は五人。マストの真下に一人・・・・・・そう、男部屋の入り口の真上に立ち声を潜める男が、恐らくは頭。
奴を仕留めれば連中は散り散りになる。そして足元の扉にすら気付かないような愚か者を仕留めるのは、とてもとても容易い。こめかみに食い込むほどに、きつく黒布を縛りつける。斬るときにはいつもそうしていた。
ゾロは鬼徹を選んだ。水を薙ぐように床板を刺し通すこの刀が、この場合は役に立つ。
けれど、梯子段を半分まで上ったところで聞こえたのは、ここに居るはずのないナミの言葉。
「急ぐことね。うちの船長は常人と違うから、あんたたちが思うように薬は効かない」
ナミ。何故。薬? 何故あいつがここに居る? 何故。
いつか聞いたことがあるような声で、何を言っているのか。
堪えた涙の分だけ傲慢を装った、魔女と呼んだ女の表情を思い出す。
大粒の雨が叩く甲板に、一瞬黙りこくった男がふと自分の足元を見つめた。
冷めた顔つきで傍に佇んだ女が一歩あとずさる。それにつられるように、男の体が下肢から斜めにずるりと崩れた。噴き上がった血は、青ざめたナミの頬にまで散った。
ナミはゆっくりと頬に触れた。あかく汚れた手は、激しい雨にすぐに洗われる。
その手から力が抜けて落ちる前に、見張りとして立っていた男の一人の腕が甲板に落ちた。持っていた短銃から撃たれた弾は見当違いの方向に消えた。そのあとようやく重い音を立てて、腕の主が倒れこんだ。
叫ぼうとしたもう一人の喉は息を吸い込みきる前に、裂かれて用を成さなくなる。
恐怖という言葉を思う前に、さらにもう一人が斬られ死んだ。
見張りに立った二人の顎を薙ぐ。頚の一筋だけを刃先で截つ。勢いよく噴きだす血が、白いシャツを染める。異変に気付いて倉庫から飛び出した一人は、ただ無造作に立つだけのゾロの姿に、声にならぬ悲鳴をあげ、腰を抜かしたままあとずさった。ゾロはまるで何時もとかわらぬ歩みで近寄り、斬った。もう一人。女部屋からの入り口から、恐怖にかられて埒もなく飛び出そうとした男は、自らが駆け上がる勢いのままに鬼徹の刃に貫かれた。
全身に返り血を浴びて、背を向けたまま微動だにしない。
荒れ狂う、これは魔性だ。獣ですらない。
俯き加減で、暴発する力を必死に抑えようとする姿は、鎮めるよりむしろ沸き返る力を歓んでいるように見えた。
雨が洗い流す前に血は濃く染み込んでいく。
『オマエこれ飲んじゃ駄目だ』
部屋に通された頃には身に馴染んだ気配に気付いていた。
「チョッパーが気付いたの」
奇妙な味にウソップが不満を洩らす。
「薬盛られて、皆宿で眠ってる」
朦朧とする中で痺れた手足にサンジは悪態をついた。
「あんたが残ってるって知ってたから」
私は嘲笑って見せた、以前と同じ様に。
「倒れた皆に手出しさせるわけにはいかなかった」
ルフィは何も言わない。私たちは視線を一瞬だってそらさなかった。
ゾロ、お願いだから何か言って。その刀を手から離して。私を信じて。
『・・・・・・とんだ横槍だわ。私の獲物なのに。ここまでくるのに随分手間取ったけど、あんた達はたった一度でぶち壊してくれた』
『でも目的は同じでしょ。取引させてもらえないかしら。私自身の身柄も含めて』
『手始めに船に案内するわ。結構こいつら稼いでたから、きっと満足できるわ』
ゆっくりとこちらに歩み寄る姿が怖くてたまらない。
けれど背を向けて逃げたなら斬られるだろう。
そしてゾロは戻ってこられなくなるだろう。
切っ先が突きつけられる。左肩を薙いだ。衝撃はまるでない。傷痕に冷たい雨が沁みる。
同じことを思っているのだと確信した瞬間に、酷く強く抱きしめられていた。
視界の端を、あかく染まった水の流れが絶えることなく流れていく。
突き立てられた刃。
ふと、鬼徹の拵えに纏わりつくような紐の暗いあかが同じ血の色なのだと気付いた。
「疑ったわけじゃない」
背に廻した手はどうにか頭に届いた。黒をむしり取れば、常と変わらぬゾロがいた。
「・・・・・・・・・怖いのか」
ナミは首を振った。
「・・・・・・・・・寒いのか」
頷いた。これは本当だった。もう、怖くはなかった。
「あんたか、ルフィが自由に動けてれば、こんな雑魚どうってことないと思って」
「こんなことしなくていい」
「この町おかしいわ。多分町ぐるみで構えてる。早く皆連れ戻して船出さないと」
「お前はどうともされてないな?」
「こういうのも、昔取った杵柄って言うのかしらね」
「もう二度とこんなことするな・・・・・・約束してくれ」
縛りつけようとする力があるなら、全て斬る。潰す。怖いなら眼を閉じていればいい。
ゾロは露になった左肩を傷痕へ唇を落とす。
ナミはしばらくそのまま泣いた。
「もしもあんたが私を斬ることがあるなら、それは何時?」
「俺はお前を斬らない」
「決して裏切ることはないわ。でも道はいずれ分かれていく。あんたはきっと私が願うようには生きないから」
「・・・・・・俺が、俺が望む道を邪魔したなら、斬るのかもしれない」
私が望まないあんたの生き方は私を斬らないあんたには訪れない。
俺の望むお前の生き方はいつか俺にお前を斬らせるだろう。
私の望んだ私の生き方を見せてくれたのはあんた。
俺の望んだ俺の生き方が傷つけるのはお前。
驕りも事実。逆説こそ真実。交差した生き方を留めようとしたら力は歪み弾けて壊れる。
けれど他にそれを求めようとは考えられない。手を放そうとも思わない。
「怖いのか」
「怖いわ」
眼を閉じてももう見てしまった酷い光景に、ありありと見えるいつかという日が怖い。
「俺は、お前を斬らない」
私は何ひとつ裏切らない。
「約束はできないわ。好きだから」
力は歪み弾けて壊れる。
壊さずに壊れる。
自分から。
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